16日に開かれた唐津サテライト館の内覧会。辰野金吾ら「耐恒寮」出身の偉人をアニメ風に描いたパネルが並ぶ=唐津市本町の旧唐津銀行

 「唐津藩は後方支援で新政府の軍艦の燃料として石炭を届け、頼りにされた」。唐津市明治維新150年事業推進室の黒田裕一係長(50)は昨秋から4度上京するなど資料調査に当たり、唐津藩が文字通り維新の「エネルギー源」になったとの思いを強めている。

 江戸時代の佐賀藩はそのまま今の佐賀県ではない。唐津市周辺は、幕府を支える譜代大名が代々統治してきた。維新150年を祝賀ムードで迎える薩長土肥とは相いれない歴史を宿している。

 その象徴的な存在が幕末に老中を務め、徳川家に忠義を尽くした小笠原長行(ながみち)。第2次長州征討で指揮を執り、賊軍となった旧幕府軍と共に蝦夷地に渡った。同行した唐津藩士24人は土方歳三率いる新撰組に入り、箱館戦争で絶命した者も。佐賀とは対照的な“敗者の維新史”が語り継がれている。

 今回、この図式だけではない見方も語られるようになった。長行の存在によって窮地に立たされた唐津藩。最後の藩主小笠原長国は、養子である長行との父子関係を絶ち、新政府に石炭3千トンを献上して藩の立場を好転させた。幕末の唐津炭田は日本最大の産出量を誇り、開明的な佐賀藩や薩摩藩の採炭場もあった。

 佐賀藩には鍋島家文庫があるが、大名の転封が激しい唐津藩は藩政資料が散逸して残っていない。黒田さんは旧相知町役場に採用され、村方の庄屋文書の解読から藩の姿に近づいていた。「知らない資料が全国に埋もれている。新しい唐津の維新史をお届けできれば」と150年を見直しの契機と捉える。

 唐津市には肥前さが幕末維新博のサテライト館を開設。藩知事となった長国が、新時代の人材育成のために創設した英学校「耐恒寮」に着目し、ここから育った建築家辰野金吾らを紹介している。市も新たな資料を示しながら、耐恒寮、石炭産業、建築をキーワードに独自事業を展開する。

 一部が対馬藩領だった鳥栖市にもサテライト館を置き、市の発展の礎となった薬、櫨蠟(はぜろう)、鉄道の三つの産業を示す。開催地以外にも県の動きに呼応し、多くの市町が顕彰に取り組み、「オール佐賀」のイベントとなる。

 郷土愛を満たす懐古に終わらせず、大変革期を乗り越えた先人たちから学び、未来にどう生かすのか。維新博がいよいよ始まる。

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