神原玄祐師生誕の地である、現在の地蔵院=神埼市神埼町的

 日清戦争、日露戦争共に日本の大勝利に終わった。

 誓恩師の大興善寺入山から、はや30年余の歳月が流れ、よわい50を超えた師の脳裏には、「後継住職としての弟子養成を急がねば」との思いがあった。

 明治も40年代に入る中、今まで断ってきた弟子入り希望者の中から、一人の少年に思い至った。

 後に大興善寺第96代住職となる神原玄祐師(1894―1995)である。

 玄祐師は1894(明治27)年12月10日、神埼郡仁比山村(現神埼市神埼町的)の地蔵院、角玄恕住職の次男として生まれた。

 地蔵院は仁比山神社に付属し、往時は36坊あったといわれる神宮寺(神社に付属して置かれた寺院)の一つである。

 幼名を祐次郎と称し、6歳になった1901(明治34)年4月1日、同郡三田川村吉田(現神埼郡吉野ヶ里町吉田)の金乗院、神原玄啓住職の養子となり、以後は神原姓を名乗った。

 1909(明治42)年3月には仁比山尋常高等小学校を卒業。翌10年1月27日、京都粟田口青蓮院において青蓮院門跡三津玄深大僧正を戒師として得度、名を玄祐に改めた。(地域リポーター・久保山正和=基山町小倉)

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