昭和30年代に建てられた八並長者の顕彰碑。「八並武徳神」と書いてある

 前回は八ッ並金丸遺跡の奈良時代の倉庫跡群とそれにちなむ地名について述べましたが、蔵上遺跡についても、奈良時代の倉庫跡群にちなむ地名だと考えられます。蔵上は「くらのうえ」と読むことが現在では多いのですが、地元で特にお年寄りは「くらのえ」と読んでおられます。前者だと「倉の上」、後者だと「倉の辺(へり)」となります。神辺を「こうのえ」と読むのと同じことです。

 また、長者伝説も残されています。蔵上には「蔵上大膳」伝説があり、大宰府警護の武士名「倉上氏」につながるのかもしれません。八ッ並には「八並長者」伝説があり、現在の弥生が丘から基山町にかけての大地主で、八ッ並に屋敷跡とお墓もあると伝えられ、荒穂神社を手厚く保護し、浮立(獅子舞など)奉納も始めた人とされています。(鳥栖市誌第3巻参照)(鳥栖郷土研究会会長・藤瀬禎博)

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