東日本大震災から7年である。死者約1万6000人、行方不明者は2500人を超し、依然約7万3000人が全国で避難生活を続けている。甚大な被害にあらためておののくとともに、この震災を通して得た教訓をわれわれは生かしているのか、と深く自省せざるを得ない。

 歴史を振り返れば、日本は外からの大きな圧力がかかった時に変革を遂げてきた。明治維新も敗戦の時もそうだった。巨大な自然災害も反省と変革への試みを促した。

 しかし、震災から7年、悲しみを胸にこの国が抱えるさまざまな問題を解決し、より良い国にしようと誓った決意は、どこへ行ってしまったのだろうか。

 震災の教訓は多い。その中でも痛切に感じるのは惰性が導く危険に気づき、対策をいかに早くとるかということだ。

 東京電力福島第1原発は、敷地の高さを大きく超える最大15・7メートルの津波到来の危険性が示されたものの、漫然と運転を続けていた。

 惰性は震災後も続く。エネルギー基本計画で「重要なベースロード電源」と位置付けて原発維持を国家方針としながらも、使用済み核燃料や廃棄物の問題への取り組みを先送りしている。

 使用済み核燃料の再処理でできた47トンもの膨大なプルトニウムは非核保有国としては異様に多い。世界各国から、多数の核弾頭の材料になると不信の目を向けられているが、この問題に正面から向き合おうとしない。

 原発だけではない。国家の大きな政策でその場しのぎがあまりに多い。債務残高は1千兆円を超え国内総生産(GDP)比で230%超、国民1人当たり約858万円の借金を抱えている計算である。財政状態は先進国で最悪で、日本の将来を危ぶむのは当然だ。しかし、財政再建は先送りである。

 人口動態を考えれば、年金や医療、介護などの制度は、現行の仕組みのままでは維持が難しい。現在の制度の脆弱性は、若者世代に、世代間格差の不平等性の不満を植え付ける。だがこれも取り組みは遅い。

 惰性と言えば、日本の外交が思い浮かぶ。日米同盟は基軸という。これまでは一定の成果を上げてきたのだが、自国産業保護のために国際社会のルールを破ろうという国と運命共同体で良いのだろうか。もっと多くの国々と深い関係を築くべきなのだが、そこに踏み切る意思が感じられない。

 格差を拡大再生産する今の経済システム、難題への挑戦を避け、忖度がはびこる政治の劣化。多くの大問題をはらむ日本は、今も危機の中にある。

 7年前のあの日、宮城県石巻市で米国人英語指導助手だったテーラー・アンダーソンさんは児童を保護者に引き渡した後、津波にのまれ亡くなった。24歳だった。娘の思いを継いで、家族が被災地の学校に図書を贈り続けている。「本を読んで新しい世界を見つけてほしい」とアンダーソンさんの父親は子どもたちに語りかけている。

 ひるまずに新しい世界を切り開く。それこそ亡くなったアンダーソンさんが子どもたちに教えたかったことに違いない。

 一人一人の行動が問われている。震災の教訓を学び、課題の解決へひるまずに踏み出す。そうしなければ、残されたわたしたちが責任を果たしたとは言えない。(共同通信・杉田弘毅)

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