孤高の青磁作家として唯一無二の作品を作り出した中島宏さんは、日本工芸会や地元のグループなどで陶芸の発展に力を入れた。9日の葬儀に参列した関係者からは「まだ学び足りない」と惜しむ声が相次いだ。

 武雄市の陶芸グループ「酔陶会」の浦郷好文さん(69)=壮明窯=は「突然の訃報にぼうぜんとしている。まだ学びたかった」と喪失感を語る。同会の丸田延親さん(52)=丸田宣政窯=も「中島さんに褒められると何よりうれしかった」と先輩作家の死を悼んだ。

 中島さんと親しかった故中村清六さんの孫、中村清吾さん(42)=西松浦郡有田町=は「『死んでも焼き物は残る。だから恥ずかしい仕事をしてはいけない』と話してくれた」としみじみと思い返していた。

 中島さんは1979年の県展の審査改革を先導し、創作に真摯(しんし)なまなざしを向けた。その頃、行政側にいた高島忠平さん(78)=県芸術文化協会理事長=は「仕事には激しいが、心は優しい。正義感あふれる人だった」と振り返った。

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