鳥栖市北西部の山麓一帯に広がる戦国時代の城下町跡「国史跡・勝尾城筑紫氏(かつのおじょうちくしし)遺跡」の保存整備シンポジウムが2月18日、鳥栖市であった。先進例として福岡県久山町にある、中世の山寺跡「国史跡・首羅山(しゅらさん)遺跡」について研究報告が行われた。町、地域、学校が三位一体となって保存活用に取り組んでいるという。先日、その遺跡を訪ね、勝尾城への生かし方を考えてみた。

 首羅山遺跡は標高290メートルほどの山にある。平安時代後期から鎌倉時代にかけての最盛期には350坊があったといわれる。

 元々、久山町には山寺の伝承があった。「歴史を明らかにして」との地元からの要望を受け、町教委が2005年度から調査を始めると、寺の建物跡や大陸系の石像物などを次々に確認。13年に国史跡指定を受けた。町は18年から登山道整備に入り、22年春には展示場付き案内所を開設する。まさにとんとん拍子で整備が進む。

 その国史跡指定の背景には、遺跡の重要性はもちろん、調査開始から深く関わってきた町民の力と思いがあったという。

 調査が始まると、久山町の二つの小学校では遺跡学習を始めた。対象は6年生。年間30時間の総合的な学習の半分を使う。毎年2校合同で遺跡を見学し、年度末には情報発信する。例えば卒業制作で首羅山をテーマに壁画を描いたり、伝承をもとに絵本「わたしたちの首羅山ものがたり」を作ったりした。この絵本は経済産業省のキッズデザイン賞を受賞した。

 国史跡指定記念の祝賀イベントは雨にもかかわらず、人口8500人のうち、2千人もの人が集まった。記念演奏した雅楽師、東儀秀樹さんは小学校を訪ねた時の感想を「みんなが生き生きと(遺跡について)説明してくれたのがとても印象的だった」と寄せている。

 ボランティアは毎月1回草刈りなどをする。作業は2時間足らずで、その後のおしゃべりが楽しみだ。秋の遺跡見学会では地元の人たちがいのしし汁を作ってもてなす。町民による遺跡についての勉強会も毎月開かれている。

 久山町は互いにできることをやろうというスタンスで、地域や学校のさまざまな取り組みに助けられる一方で、支えてもいる。

 勝尾城筑紫氏遺跡はその首羅山遺跡のずっと先輩格にあたる。調査に入って約30年、国史跡指定を受けてからも12年が経過している。しかし、遺跡の活用は進んでいない。7年ぶりにやっと開かれた2月のシンポでは、参加者からも活用や早期整備を求める意見が出された。市内では、国史跡指定を目指したころの熱気を懐かしむ声も聞かれる。

 首羅山遺跡の調査、活用の先頭に立ってきた久山町教委の江上智恵さんは、シンポ当日の朝、勝尾城遺跡に登っている。「やっぱり城はカッコいい。どんな武将たちがいたのでしょう。山寺とは違う、わくわく感がある」とその魅力を熱く指摘していた。

 勝尾城遺跡は景色がいい。遠くから見え、鳥栖のランドマークにもなる。高齢社会だからこそ登山道の整備の仕方によっては体力づくり、健康づくりにも生かせる。何も大金をかけずともやれることはさまざまあろう。今のままではもったいない。(高井誠)

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