「これだけ多くの失敗作を作っているのは私ぐらい」と語る中島さん。妥協を許さない厳しさが逸品を生んだ=2004年10月、武雄市西川登町の弓野窯

中島宏さんの「青瓷彫文壷」/中島宏さん作「青瓷彫文壷」

 青磁作家として日本の陶芸界をけん引してきた武雄市の重要無形文化財保持者(人間国宝)、中島宏(なかしま・ひろし)さんが7日午前7時17分、佐賀市の佐賀大学医学部附属病院で、細菌性肺炎のため死去した。76歳。自宅は武雄市西川登町小田志14982。通夜は8日午後7時から、葬儀・告別式は9日午前11時から武雄市武雄町昭和121のアクロスウィル武雄斎場で。喪主は妻寿美子(すみこ)さん。 

 西川登町弓野で父が営んでいた製陶所に生まれた。日展で活躍した陶芸家の均さんが4歳年長の兄(1981年死去)。中学卒業後、家業に従事し、12年間、窯の基礎的な仕事を学ぶ。24歳で県展に出品した変形白磁壺(つぼ)で受賞し、デビューした。

 28歳で「弓野窯」を開き独立した。土と釉薬の研究を重ね、青磁の技法を体得した。日本伝統工芸展を中心に活躍、1982年に日本陶磁協会賞を受賞。その後、中国の古窯を訪ねて最高峰とされる宋時代の青磁を学ぶなど伝統を読み直した上で独自の美を追求した。

 多様な器形と釉調で「中島ブルー」といわれる独創的な作品を創作し続け、青磁の可能性を究めた。96年にMOA岡田茂吉賞大賞、佐賀新聞文化賞、2005年に日本陶磁協会賞金賞を受賞。07年に人間国宝の認定を受けた。12年に旭日小綬章受章。佐賀県陶芸協会会長を務め、後進の指導にあたる一方、同年には日本工芸会副理事長(陶芸部会会長)に就任し、審査方法の改革を進めるなど尽力。日本の陶芸界をリードした。

 江戸時代の佐賀藩武雄領で焼かれた陶器群「古武雄」を半世紀かけて収集。そのコレクションは九州国立博物館や九州陶磁文化館での展覧会で公開され、再評価のきっかけをつくった。昨年末、西松浦郡有田町の県立九州陶磁文化館に約600点を寄贈した。

 ■日本の陶芸界をけん引

 佐賀県陶芸協会副会長の十四代今泉今右衛門さんの話 独自の青磁世界を追求され、作陶への誠実な姿勢はもの作りに携わる者として学ぶことが多かった。佐賀県のみならず、日本の陶芸界をけん引された大きな存在。県陶芸協会会長としても常に指導力を発揮され、有田焼創業400年も気に掛けていただいた。ダイナミックで美しい中島青磁の世界にもっと触れたかった。

 ■焼き物問い続けた人生

 山口祥義・佐賀県知事の話 本当に佐賀県の大きな財産を失い、大変な衝撃を受けている。1月末に先生とお目にかかり、ご自宅で直接感謝状を渡したが、今ある焼き物のあり方が正しいのかどうか、自分の思いと格闘してこられた話などをうかがい、深い人生を感じた。古武雄を残してほしいという強い思いだったので、それを生かしていきたい。焼き物に対する思いや生き方の美学を継承していきたい。

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