やっと寒さも緩み、白石町では超早場米「七夕コシヒカリ」の種まきをもうすませた。半世紀近く続いたコメの減反政策が終わり、今年からは自由に作れるようになる。なのに農家は供給過剰が招く値下がりを避け、作付け増には総じて慎重だ。皮肉なことである◆戦後、コメの増産にまい進した時代があった。1964(昭和39)年からの「新佐賀段階米づくり運動」である。「作れ、作れ」と突き進む。熱心だったのは小城市三日月町。「あのころは燃えていたね」。同町の永渕髙美さん(93)は当時、農協の青壮年部長◆10アール当たり収量で4年連続、町のトップになった。それが一転、コメ余りになった70年から減反が始まる。「量」の時代は終わり、佐賀も「うまいコメづくり」に舵を切る。「コメをよけい取ったら、これからは罪になるのう」。永渕さんは仲間と苦笑したのを覚えている◆思う存分、コメを作ることができない農家の悲哀のようなものを感じる言葉だ。国の旗振りの下、大豆や施設野菜への転作。時代は変わった。「佐賀のコメの味は良くなった」と永渕さん。味で勝負ならと、農家は銘柄米づくりに汗を流す◆コロコロ変化する猫の目のような御上の政策を押しつけられようとも、その時々でコツコツと作りつなぐ。いつの時代も、農家の心意気には頭が下がる。(章)

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