住宅地の奥に見える駐機場を離陸したUH-1Jヘリコプター=神埼郡吉野ヶ里町の陸上自衛隊目達原駐屯地

 途絶えていたヘリのローター音が再び、住宅地に響き渡った。陸上自衛隊目達原駐屯地(神埼郡吉野ヶ里町)のAH64D戦闘ヘリコプターが神埼市千代田町に墜落して17日。原因究明のさなかでの飛行再開に、駐屯地周辺の住民からは懸念する声が漏れる。ただ、「基地がなくなればいい」という訴えは表立って聞こえてこない。地域には自衛隊関係者が少なくなく、「共存共栄」と語る人もいる。事故で膨らむ不安を抱きつつ、複雑な思いで機体を見上げる。

 駐屯地を囲む柵から東に約100メートルの住宅で暮らす女性(74)は朝、日課の犬の散歩に出かけた。事故翌日の飛行から16日ぶりにヘリの音が鳴り響いたが「慣れているから気づかなかった」と気に留めなかった。ただ「事故以来、不安になった。いつか落ちるかもと思っていたけど、絶対はあり得ないのね」とこぼす。「でも、国防のために頑張らないといけないし…」と言葉を飲み込んだ。

 「旧三田川の時代から共存共栄だった。うちの地区にも現役自衛官やOBが多く住んでいる」。元町議の古賀政信さん(67)は町の事情を説明する。自衛隊のおかげで道がよくなった、学校のエアコン導入も早かった…。駐屯地があることによる交付金の恩恵も大きい。「基地がなくなるといい、という声はほとんど聞かない」という。

 駐屯地は1954年に開設され、九州・沖縄の部隊の後方支援拠点として装備の調達や補給を担ってきた。西部方面の防衛力強化を念頭に88年、AH1S対戦車ヘリの配備計画が示されると、本格的な「基地化」を懸念して反対運動が巻き起こった。ただ、デモや集会への参加者は「革新政党や労働組合が中心」で、地元住民は少なかったという。運動が下火になると、目立った抗議や反対の動きは見られなくなった。

 「これまで60年以上、大きな事故もなく、地域に溶け込んで同化してきた。『基地のまち』といっても沖縄や佐世保ほどの規模はなく、負の影響も騒音ぐらい。それも関係しているのでは」。反対運動の中核を担っていた社民党の関係者は、地元から反対の声が出てこない背景を推し量る。一方で「今回の事故で『基地のまち』につきまとう危険性を、身近な問題として実感した住民は少なくないはず」とも指摘する。

 事故前から飛行に伴う振動や騒音を受忍してきた吉野ヶ里町立野地区。山田勲区長(56)は「(住民は)いろんなことを理解している。飛行再開の判断にとやかく言うつもりはない」と話す。ただ、住民が過去に、低空飛行に対する苦情を自衛隊に寄せたときのつれない対応や、事故後も地元への情報提供が乏しい現状に疑念を抱く。「納得いくまで調査をするか不安。やったら地域の人に明確に示してほしい」。思いを代弁するように、くぎを刺した。

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