後藤家の歴史を語る古文書『藤山考略』。黒髪山に妖蛇が住み着き、田畑を荒らしていることなどが記されている

 源為朝は平安末期の武将で、幼いころから剛勇で知られ、弓術に優れていました。13歳のとき、乱暴がすぎて父である源為義に追われた九州で勢力をはり、鎮西八郎と称したとされます。

 武雄後藤家(鍋島家)や武雄地域の歴史書とされる『藤山考略』には、為朝が後藤助明の奏上を受けた朝廷から命じられ、黒髪山に住み着いた大蛇を退治したと記されています。

 そのためか、武雄領各地には為朝に関する伝説が数多く残されています。橘町のおつぼ山の頂上には「八郎さん」と称する為朝をまつった石祠(せきし)があり、橘小の東側にある靭(うつぼ)神社は、為朝愛用の靭(矢を納める道具)を埋めた場所とされます。おつぼ山の名も、靭がなまったものとする説もあります。

 若木町の御所は、ここに住んだ為朝が自分の居館を御所になぞらえたことにちなむとされ、今でも館があった付近を陣屋と呼び、余人の立ち入りを禁じるために鳥居が建てられていた場所には、鳥居ばえという地名が残っています。

 西川登町高瀬の万寿観音は、大蛇退治のために犠牲になろうとした万寿姫をまつった社であり、荒踊りの奉納で知られる松尾神社には、その弟が合祀(ごうし)されています。

 また、黒髪神社の流鏑馬(やぶさめ)は、為朝の大蛇退治に由来するとも伝えられています。

 武雄市図書館・歴史資料館では24日から「馬、駆ける~武雄地域の流鏑馬神事~」を開催します。(武雄市図書館・歴史資料館 一ノ瀬 明子)

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