戦前、特高(特別高等警察)による「新興俳句弾圧事件」があった。戦争を風刺した俳人が次々に治安維持法で検挙されたのである。そのころ東大生だった俳人の金子兜太(かねことうた)さんは、俳句をやっている先輩に手を見せられた◆両手の爪が全部はがされていた。「この戦争はおかしい」。街頭で叫んだ一言で特高から拷問を受けたのだという。旧制高校生のころから作句していた金子さんは無事だったが、そんな恐怖を肌身で知った(自著『あの夏、兵士だった私』)◆海軍主計中尉として南洋のトラック島に出征した経験が、俳句人生の方向を定める。爆撃や飢えで、非業の死を遂げていく部下の姿を見て、涙が止まらなかった。〈水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る〉。敗戦を迎え、九死に一生を得て引き揚げる時に詠んだ痛恨の一句だ◆「死んだ人のために頑張ろう」。そう誓った金子さんが亡くなった。復職した日本銀行では、エリートコースを望まず組合活動に専念。俳壇の旧体制にも挑んだ。死者たちへの鎮魂と反骨が、そうさせた◆自然より人間や社会の実相に十七音で迫り続け、“知的野生人”を名乗って土とともに生きる大切さを説いた。「自由人でありたい」との思いは、平和への願いにも通じる。「戦争は悲惨なものだ、絶対にやっちゃいかん」。晩年まで訴えた言葉である。(章)

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