周囲の平野部を見渡せるやぐら台を見学する須古歴史観光振興会の会員たち=白石町の須古城

防御施設として機能した崖(奥)などを見学する須古歴史観光振興会の会員たち=白石町の須古城

 白石町の須古城の歴史的価値を高め、地域を盛り上げようと、地元にできた須古歴史観光振興会が、遺構探索のための環境整備に力を入れている。いつ誰が観光に来ても自由に見られるようにと、一昨年から竹やぶを切り払い、地図も制作して近隣施設に置いている。

 須古城は標高41メートルの平山城で、別名「高城」。難攻不落の堅城として知られ、龍造寺隆信が4度にわたり攻め入り、それまで居城していた平井氏を滅ぼした。隆信は隠居後も同城を本拠地として勢力を広げ、大友、有馬に並び九州の三大勢力に数えられた。隆信の死後は、須古鍋島家の祖である弟・信周も居城とした。

 城は三層構造で、曲輪(くるわ)や石垣、升形虎口、やぐら台などの防御設備がある。ただ近年は竹やぶに覆われて探索しづらかったことから、一昨年設立された振興会は、やぶを払う作業に手弁当で取り組んできた。

 会は定例の勉強会も開いて歴史的な理解を深めている。見学コースの地図も独自に作成し、誰でも手に取れるよう近くの三近堂コミュニティーセンターに置いている。

 17日には会員向けの探索会があり、約20人が整備途中のコースを約50分かけて歩き、城の構造と歴史的な価値を改めて実感した。

 参加した会員の深川忠久さん(66)は「改めていろいろな構造があることに驚く。ここを拠点に北部九州を治めていたなんてロマンがある」と誇らしげ。山口順会長は「地図の減り具合から見ても、観光客が増えているのは間違いない。さらに歴史的価値を高めるため、発掘調査などの要望も考えていきたい」と語った。

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