旧唐津銀行本店(唐津市本町・左)と旧三菱合資会社唐津支店本館(唐津市海岸通・右)

旧唐津銀行本店(唐津市本町・左)と旧三菱合資会社唐津支店本館(唐津市海岸通・右)

 1月に出版された『日本近代建築家列伝』(鹿島出版会)は日本建築の黎明期を担った建築家35人の生涯と作品を紹介する評伝だ。巻頭、「西洋建築の父」と称されるジョサイア・コンドルに続き、辰野金吾、曽禰(そね)達蔵が登場し、村野藤吾がトリを務める。

 辰野、曽禰、村野。3人に共通することがある。村野は世代がやや違うが、いずれも唐津出身だ。

 辰野の章を担当した建築家の藤森照信氏は「世界的に注目される現代日本の建築界の源泉はここにある」と同著の意義を記す。ではいつから日本で近代建築が始まったのか。監修した丸山雅子氏は「幕末・明治初期の西洋建築の導入をもって近代建築の出発点と見なして問題はないだろう」とする。

 くしくも、明治維新150年の今年、唐津市は当時の唐津を象徴するテーマとして、後の総理大臣高橋是清のもとで新しい学問の基礎となる英語を学んだ「耐恒寮(たいこうりょう)」、佐賀、九州だけでなく日本の近代化を支えた「石炭産業」、そして「建築」を取り上げる。

 併せて「唐津の八偉人」を選定した。その中で全国的な知名度というと、やはり辰野と曽禰の2人だろう。

 建築史に詳しい清水重敦・京都工芸繊維大教授は肥前さが幕末維新博覧会のプレイベントで、工学であり、芸術である建築の二面性を説き、「同郷の2人だったから、それぞれを体現できた」とし「日本の近代建築のふるさと唐津をアピールしよう」と提言した。

 また先般、直木賞を受賞し、電子文芸誌・別冊文藝春秋で辰野の人生を描いた長編小説を連載している門井慶喜氏が昨年、唐津で講演した際の演題は、ずばり「唐津が日本の近代を建てた」だった。

 ただ現在、唐津には辰野が監修した旧唐津銀行本店(県重要文化財)が残るだけだ。曽禰については建築顧問として関わった旧三菱合資会社唐津支店本館(同)があるが、周辺は民家が立ち並び、市民でもあまり存在を知らない。

 建築における業績、そして彼らを生んだ風土や時代の空気を知ろうとする時、辛うじて残る二つの建物の重要性はさらに増す。

 旧三菱合資会社唐津支店本館は現在地の唐津西港から、クルーズ客船が入港する唐津東港に移す構想もある。石炭の積み出し業務施設として港湾エリアにあるのがふさわしいかもしれないが、「近代建築のふるさと唐津」のシンボル、ランドマークとして旧唐津銀行と一体活用する手もあるだろう。

 来年は辰野没後100年で、旧唐津銀行を通称「辰野金吾資料館」にしようと市民運動も始まった。旧城下の情趣と洋風建築のモダンさは唐津の気風そのものであり、幕末から明治へ向かう時代を追想できる歴史遺産として、まちづくりの核としたい。(吉木正彦)

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