スピードスケート女子500メートルで金メダルを獲得し、表彰台で目を潤ませる小平奈緒=江陵(共同)

 スピードスケート女子500メートルで小平奈緒が五輪スピード女子で初めてとなる金メダルを獲得した。スプリント系の常識を打ち破り、30歳になってから急成長した「遅咲き」が大輪の花を咲かせた。日本の女子スポーツ全体に新たな可能性を示した。

 ▽最年長の金メダル

 今季までの2シーズンにまたがる国内外の無敗記録は24。絶対の自信を持って臨んだレースで、スタートから青写真通りに飛び出した。最初の100メートルは全体で2番目の10秒26で通過。バックストレートで滑らかに加速し、その勢いのまま最終カーブに入った。

 日本では20代の初めからトップ選手だったが、なかなか世界では勝てなかった。殻を破るために試行錯誤を繰り返して築き上げたフォームだ。日本伝統の前傾姿勢に、オランダ留学で会得したパワーを効率的に生かした。最後のストレートではひと蹴り、ひと蹴りに魂を込めて36秒94の五輪新記録でゴールした。

 宿敵、李相花(韓国)は37秒33で2位。3連覇を狙った李に快勝し、小平が「短距離の女王」の座についた。冬季大会での31歳での「金」は男女を通じ日本選手の歴代最年長の快挙でもある。

 ▽一発勝負に勝つ

 五輪の500メートルは、1998年長野大会から前回ソチ大会まで5大会でイン、アウトのスタートを1回ずつ滑って合計タイムを競う2回方式で行われていた。平昌では1レースだけに変更された。小平は一発勝負の重圧にも打ち勝った。

 短距離は昔からスタートのイン、アウトで有利、不利があると言われていた。特に500メートルでは、最後のコーナーをスピードに乗ったまま外側の大きなカーブに入れるインスタートの方が有利だとされていた。

 1984年サラエボ五輪の男子500メートルでは当時、金メダル最有力と言われた黒岩彰がアウトから出て惨敗する悲劇もあった。

 不公平を解消するため長野五輪から2回方式が導入されたが、国際スケート連盟はその後の統計上の分析から「さほどの差はない」として、1回方式に戻した。最近ではバックストレートで前を追えるアウト有利の声さえある。

 小平は1000メートルでは、やはり不利とされるアウトスタートから出て、惜敗の銀メダル。500メートルでは、抽選で心理的により安心できるインを引いた。今季全勝のワールドカップ(W杯)500メートルではすべてインスタートだった相性の良さもあった。

 対照的にアウトスタートの李は100メートルを最速の10秒20で飛び出しながら、小さくて難しい最終カーブで膨らみタイムロスした。500メートルでは、リンクの女神も小平の味方についた。

 ▽選手寿命の限界に挑戦

 女子のスポーツ選手、とりわけスピードを要求される瞬発系選手のピークは20代半ばごろというのが一般的だった。小平はその通念を覆した。

 4年前のソチ五輪惨敗後にオランダ留学を決意したのはまもなく28歳になろうかという時だった。普通なら、そろそろ引退も考える年齢での単身の武者修行。常識外の決断が、潜在能力を一気に開花させる引き金となった。

 成果が30歳以降の爆発につながった。500メートルではW杯15連勝を含めて連戦連勝を続け、1000メートルでも世界記録を樹立。スタートからのダッシュ力、スピードを維持する持久力も伸びた。

 日本では夏季競技も含めても、30歳すぎにこれほど力をつけた女子選手は珍しい。トレーニング方法の進化、競技生活への支援体制など、多くの要素が小平を支えた。信州大時代から指導を続ける結城匡啓氏(信州大教授)は、筑波大大学院時代にスピードスケートの加速理論を研究。現役選手時代は「スケート博士」の異名があった学究肌のスプリンターだった。

 小平自身の大学卒業論文のテーマは「世界一流選手のカーブワークの動作解析」だったという。指導者にも導かれ、現場にスポーツ科学を積極的に採用する先進性が、年齢的ハンディを克服するもう一つの支えになった。

 欧米諸国に比べて日本女子は選手寿命が短いとされる。小平が歩んだ金メダルへの道筋は、限界に挑む女子アスリートに勇気を与えた。(共同通信=荻田則夫)

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