子どもの前で夫婦げんかは良くないと分かっていながら、ついやってしまった経験は、私にもあります。ただ、配偶者間の暴力(ドメスティックバイオレンス=DV)に巻き込まれる子どももたくさんおり、直接危害が及ばなくても、心理的ストレスを受ける「面前DV」として虐待に当たります。

 実の親や兄弟から継続的に性的虐待を受ける事例も後を絶ちません。「あんたなんか産まなければよかった」「あなたのせいで苦労している」と親から聞かされ続け、うのみにする子どももいます。

 この場合、「ダメな自分に原因がある」と悩みを抱え、秘密にする子どもが多く、打ち明けるのはかなり後になってからです。周囲に知られると、自分も家庭も、もっとまずいことになると予見し、気付かれないように笑顔をつくって学校に通うのです。そんな彼らに、「親への感謝の手紙を書きましょう」と言えるでしょうか。

 近年、育児に感動を求める傾向が強まっています。子どもの成長に感動するのでなく、育児している自分に感動するためで、親への感謝の手紙もそうです。学校にはいろんな子どもが通っており、授業や行事で一様に手紙を取り入れるのは無責任といえます。保護者の応援メッセージなら理解できますし、家庭で楽しむのであれば構いません。しかし、どんな家庭であれ、親が子に感謝を要求するのはおかしくないでしょうか。

 育児に感動を求め、子に感謝を求める傾向と、冒頭に挙げた虐待などは根っこが同じで、「子どもの所有物化」が関係しているように思います。保護者だけでなく、社会全体が子どもを保護者の所有物と見なし、「人格」と見ていません。育児の全責任を保護者や学校に押し付ける社会が完成しており、その重圧で、保護者は感動がなければ育児がつらすぎる状態に追い込まれています。

 子どもを「つくる」という表現が、それを象徴しています。「授かる」と表現していた子どもがいつの間にか「作品」になり、所有物にされています。

 親は親、子は子として独立した人格です。一方的に感謝させるのではなく、人間同士として双方で尊重し合うのが理想です。(浄土真宗本願寺派僧侶・日本思春期学会理事 古川潤哉)

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