長崎街道沿いに寺社が並ぶ田代宿(鳥栖市)。右側に西清寺、左奥に昌元寺、田代八坂神社がある

 鳥栖市の北部に位置する田代地域は、江戸時代に長崎街道の宿場町として栄えましたが、その発展の基礎には戦国時代の筑紫氏が深く関わっていました。

 筑紫氏は1500年代前半、宮浦城(宮尾城)や菩提寺であった専念寺が所在する基山地域が中心でした。その後、天文11(1542)年に浄覚寺が筑紫野市から田代へ移転、筑紫氏家臣が光徳寺を再興したと伝えられており、この頃から田代が整備されていった様子がうかがえます。永禄6(1563)年に田代八坂神社が勧請され、同じ頃に昌元寺が現在地へと移転。その後、筑紫氏家臣が西清寺を再興したといわれます。同寺には筑紫広門が側室の病気治癒を祈願して植えたという樹齢400年の大イチョウが今も健在です。

 佐賀大学名誉教授鈴木(宮島)敦子先生の研究で、戦国時代には各地で地域経済圏が形成されたことが知られていますが、筑紫氏の本拠地・勝尾城と約4キロの近さにあり、交通の要衝であった田代はまさに筑紫氏が治める地域の「城下町」的な存在として発展していったと考えられます。

 あす18日には勝尾城筑紫氏遺跡シンポジウムが鳥栖市立図書館で午後1時から開かれます。鳥栖地域の戦国時代を知る機会です。ぜひ参加されてはいかがでしょう。

 (地域レポーター・田中健一=鳥栖市儀徳町)

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