このままでは危ないファンシーおばさんになりかねない。そんな危機感を抱いたのは、産後しばらくして、100円ショップをさまよっていたときのことだった。目の前に吊られている商品を手に取って、ハタと気づいたのだ。

 「私いま、この名刺サイズのキキララのジップバッグを買おうかなって思った! パステルピンクとラベンダー色で描かれたキキララがかわいいなって思った! この類のものを、一度もかわいいと思ったことなかったのに!!」

 毎日目にする我が子と、その周辺にある洋服やおもちゃについてかわいいかわいいとつぶやき続けた結果、かわいいセンサーが過剰反応するようになってしまったのかもしれない。赤ちゃん市場は異常なほどのかわいいであふれているし、だいたいのものは小さいだけでかわいく見えるのだ。かわいいの洪水に巻き込まれ、どうやら私のかわいいセンサーはバカになってしまったようだ。あんなにも、かわいいとは縁遠い人生を送ってきたというのに。

 幼少期から大人びたキャラを期待されてきた私は、かわいいものをおそらく意図的に避けてきた。お人形のような顔をしたクラスメイトが着ているシャツのフリルや白いふわふわのニット、ベビーピンクのワンピースは、とってもかわいくて魅力的だった。けれど私は、そもそも自分に似合わないのもわかっていたし、子どもじみている気がして苦手だった。「かわいい」女の子たちの無邪気な甘さを身に着けられないことは薄々わかっていて、それを期待されることを拒んでもいた。そして、どこか世の中を斜に見る私に与えられる誉め言葉は「クール」「かっこいい」「大人っぽい」だった。

 赤や白、水色を選ぶことはあっても、ピンクを選んだ記憶はないし、好きなキャラクターは、キティでもキキララでもマイメロでもけろけろけろっぴでもポチャッコでもなく、ボードビルデュオだった。ご存じない方はぜひググってほしいが、シックな色合いの少年&少女(四頭身)で、あきれるほど「お姉さんっぽい」。幼いなりに、キャラ保持への固い意志を持っていたのだろう。ぬいぐるみにも人形にもそれほど愛着を抱けず、中学生になれば早々にキャラクターを卒業。音符やリボン、星、虹、ユニコーンといったラブリー系のモチーフが苦手で、特にハートは絶対に持ちたくないものの一つだった。自我が育ってからは、今更女性らしい雰囲気をまとうのも気恥ずかしく、洋服も化粧品ですら、パステルカラーやピンク系をほとんど買ったことがない。小さなリボンがついていたのは、ブラジャーの谷間部分ぐらいだ。

 それなのに、今や私は娘がよろこぶならとキャラクターの侵入を許し、積極的に入国させないまでもピンクやパステルカラーに通行手形は渡している。産後すぐはキャラのプリントされた服なんて絶対に着せないと思っていたのに、ついに娘がGAPで選んだエルサのパジャマを「かわいいの見つけたじゃん」と言って購入(安かったし、水色だし)。仕方なく譲り受けたお古のお人形も気味が悪くて仕方なかったのに、最近そこそこかわいいかもと感じている(もっと怖い人形いるし)。フライングタイガーで買った大きな赤いハートのついたジップバックをキッチンに常備(シンプルだし)。昨夏はランコムのピンク系の口紅を愛用していた(流行りの色だったし)。3年前の自分に、鋭い軽蔑のまなざしを投げかけられているのに気づく。

 実は、こんな気持ちになっているのは私だけではないらしい。ある人は「かわいいものに興味なかったのに、娘の買い物で寄ったサンリオで思わず仕事用のペンを買っていた」と言い、ある人は「堂々とピンク好きを公言する娘に感化されて、選んだことのなかった薄いピンクのコートを試着した」と話す。さらにある人は、「クリスマスプレゼントにシルバニアファミリーを買ったんだけど……かわいい! って釘付けになっちゃったんだよね。もちろん娘のためなんだけど、本当は私の中の小さな自分が『ほしい』って言うのを止められなかった」と熱弁した。

 そう考えると、私は30年以上が経過した今になって、かわいいものを選ばなかった/選べなかった幼い自分をなぐさめようとしているのかもしれない。もしかして、あの頃の私も、本当はかわいさを無邪気にまとっていたかったのだろうか。

 

有馬ゆえ(ありま・ゆえ)

1978年、東京生まれ。フリーライター。既婚。趣味は男女アイドルウォッチ。

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