山口佐平翁の業績を称える碑と田代池

 松浦党が築城した飯盛城があった城山の頂上近くに、約30万トンと灌漑用水池としては佐賀県内でも有数の貯水量を持つ田代池、通称「田代ん堤」があります。

 山代町東分の森林を抜けると現れる巨大な田代池は約350年前、当時小城藩の領地であった山代郷の目代として久原(伊万里市山代町)に在住していた馬渡百郎左衛門が、水量に乏しく用水に困っていた農民の窮状に接し、城山頂上の西方にあった小さなため池を拡げて水量を確保する工事に着手した。「もし、この計画に誤算を生じ、久原方面の灌漑に用をなさざりせば自決してその罪を謝せん。もし、予期どおり通水を得れば試水の際には大盃を捧げてその水を飲まん」と言い、数々の困難にを克服し7年余りの歳月を経て工事を完成させたと伝えられています。

 また、およそ150年前、廃藩置県時は国の土地だった田代池を含む城山周辺を地区のための民有地としなければ久原地区の将来の発展はないと奔走し、5年もの歳月をかけて久原地区の共有地として払い下げを実現させたのが山口佐平という人物です。佐平もまた小城藩士の出身で当地へ派遣された役人の一人といわれています。

 今でも豊かな貯水量で久原の田畑を潤し、住民を潤す田代池ですが、今の久原があるのはくしくも同じ小城藩士の2人の功績によるものなのです。(地域リポーター・中尾良樹=伊万里市山代町)

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