「お客さん、あそこで、あそこで、私の妹は殺されたんです。アメリカ軍にじゃないんです」。京都の町長だった野中広務氏が、昭和37(1962)年に初めて訪れた沖縄。乗ったタクシーの運転手が止めた車の中で、そう言って小一時間も泣く姿に衝撃を受ける◆「沖縄は私にとって特別な地である」。自著『老兵は死なず』に記した野中氏は、県民に多くの犠牲を強いた沖縄に終生、心を寄せ続けた。「弱者へのまなざし」と「不戦の誓い」を貫き通した政治家だ◆高知の部隊で終戦を迎え、特攻隊員を見送った経験が反戦の原点だ。「戦争に行って死なないで帰ってきた人間は、再び戦争になるような道は歩むべきではない」。遺言のような言葉を残し、野中氏が亡くなった。取材で接したことがある。東京勤務の95年、佐賀の大塚清次郎参院議員死去に伴う補選の時である◆自社さ政権下、橋本龍太郎氏が総裁になって初の国政選挙。負けられない自民は党本部が候補者選びを主導する。幹事長代理の野中氏に国会の廊下で調整の考えを問うと、面識もない地方紙記者相手に、あしらうことなく最低限の情報はくれた。そこに人としての誠実さを見た◆何やら、きな臭くなってきたこの頃の日本。彼の言葉は今、ますます重い。戦争体験のある政治家が亡くなっていくことが案じられる。(章)

このエントリーをはてなブックマークに追加