赤松小で見つかった約70年前の紙芝居を持つ山田校長=佐賀市の同校

子どもを救助し、33歳で亡くなった副田美代次

 佐賀市の赤松小学校で約70年前の紙芝居が見つかった。1943年に諸富町の筑後川で起きた児童6人と、教師1人が亡くなった水難事故が描かれている。教師の副田美代次さん(享年33)は、子どもを助けようと川に飛び込み、15人を助けた後に力尽きたと伝わる。赤松小では毎年、遠足前に教師の職責や命の重さを伝える教訓として事故を語り継いできた。今後は紙芝居を用い、70年前の教師たちの思いも継ぐ。

 事故は43年10月9日に起きた。追悼資料などによると、旧赤松国民学校(現赤松小)の6年生約200人が遠足で柳川市に出掛けた。帰路、約80人が乗った渡し船は、岸に着く数十メートル手前で浸水、転覆した。同乗していた副田さんは子どもに「泣くな」と声を掛けて救助し、「足らん、足らん」と言って何度も川に入ったという。15人を助けた後、副田さんと児童6人が濁流の犠牲になった。諸富町と赤松小には副田さんの顕彰碑がある。

 紙芝居の複写を所持していた遺族の情報を基に、佐賀新聞社が赤松小に原本の所在を確認した。取材を機に山田良典校長(59)が探し、15日に金庫の中から見つけた。全23枚で、「昭和二十四年(1949年)、県教育画劇協会」作と書かれており、当時の教師たちが水難事故と副田さんの行為を語り継ごうと手作りしたとみられる。

 楽しげな遠足から一転して水難事故が起き、副田さんが必死に救助する様子などが墨と絵の具で力強く描かれている。以前は教材として使われていたらしいが、校内に紙芝居の存在を知る教員はいなかった。

 副田さんの長男征夫さん(76)は川副町在住。事故当時は1歳半で当時のことは覚えていないが、「父のことは誇らしい」と話す。命日に開かれていた追悼会は、92年の50回忌で最後となった。「時間とともに地域で記憶が薄れていくことは仕方ない面もある」とも思っている。

 転覆した船に乗っていた多久島明さん(86)は「絵は先生そっくり。内容も事実に沿って描かれている。柔道をやってて、厳しい方だった。先生に生かしていただいたと思っている」としのんだ。

 山田校長は「事故から75年が過ぎた。子どもの命を預かっている教職の重さについて改めて考えさせられる。何よりも命が最優先だということを肝に銘じ、語り継いでいきたい」。写真や動画を手軽に撮影して記録することができなかった時代に、紙芝居という形で後世に伝えようとした教師たちの思いも継ぎたいと考えている。

 紙芝居の終盤には、「先生の一生は短かったけれど、子どもたちの命を救おうとした行いは、いつまでも語り継がれていくのでした」というせりふが書かれている。

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