発達には個人差があり、それぞれの興味、理解力に応じた個別教育が求められますが、集団生活の中では他の子たちの興味も無視できず、どこまで理解できるかは伝えてみないと分かりません。そのため「何か起こってから」の指導で「ダメ」型になるのですが、理想は「こうしましょう」型の未然教育です。

 小学校での「同級生から体を触られたり、相手の体を触らせられる」という事例の多くは大人が把握できません。嫌と明確に感じない、何のことだか分かっていない場合と、恥ずかしい、叱られるの両パターンともに子どもは報告しないのです。発達の違いが問題になる例です。身体的な成長は以前よりも早いものの、内面的に幼い感覚の子どもも多く見られます。男女が意識しすぎるケースと。抵抗がなさすぎるケースは混在しています。

 この例の場合、性的なこと、他者の身体への興味の違いという課題と、する、されることの良しあしの判断に課題が見えるものの、指導は困難です。駄目というのは簡単ですが、性的な関心全般が駄目なことと捉えられる可能性があり、それでは恋愛も避けるようになり、疑問やトラブルも相談できなくなります。本来、性については大事なことで、相手のことを考えた表出が必要と指導すべきです。

 この難しさは「性教育」のスタートが遅すぎることに起因します。体にはプライベートな部分があり、誰にでも見せたり触らせたりするものではないことを早期にきちんと教える必要があります。そのうち気づくなどと言っている場合ではありません。小中学生がネットで見知らぬ相手に裸の画像を送ってしまう例は後を絶たないのです。

 発達に応じて「表現を合わせる」必要もあります。「自分が嫌なことは人にしない」は幼児期の指導で、本来は自分が平気でも「人が嫌がることをしてはいけない」のです。学校での性教育は年齢的に避妊教育が中心です。しかし、卒業後に年齢に応じた性教育を受ける機会がなく、男女ともに妊娠しやすさを保つためのことや性別に応じた健康の知識が欠落し、相談先も分からないのが現状です。これらを含め、性教育への偏見を改める必要があります。子どもには、家庭の中で幼児期から絵本やマンガを用いるなど話ができる環境をつくれればと思います。

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