故陸軍歩兵一等卒長野庄太郎忠碑=基山町園部

 大興善寺では石坂改修にかかる寄進に余裕があり、本堂・庫裏も手入れされ、訪れる人も少しずつ増えていった。

 1894(明治27)年の春は、慣例の12年に一度のご本尊・十一面観世音菩薩のご開扉法要(一般公開)が盛大に営まれた。

 この時期、日本と清(中国最後の王朝)国が、朝鮮の支配を巡って争った日清戦争(1894年8月~95年4月)、続いて、満州(現在の中国東北部)と朝鮮の支配を巡っての日露戦争(1904年2月~05年9月)が勃発した。

 戦争が始まると誓恩師は、国家あっての国民との考えのもと、一週間ほど護摩を炊き修法をして戦勝を祈願、寺の掲示板には次の偈(げ)を大書した。

 仰げ!  陛下の大御陵威

 偲(しの)べ!  父租の大偉業

顕(あらわ)せ!  国家の大理想

 誓恩師は慰問品の募集を提案、前線の兵士に送り届け、戦没家族の慰問供養に明け暮れた。

 基山町園部の山あいには、日露戦争「沙(さ)河(か)(中国遼寧省の省都、瀋陽(しんよう)の南方にある地名)会戦」で戦死の「故陸軍歩兵一等卒長野庄太郎忠碑」が、誓恩師の揮毫(きごう)により1906(明治39)年10月建立されている。

 (地域リポーター・久保山正和=基山町小倉)

このエントリーをはてなブックマークに追加