シニアスキーヤーの峯さん=佐賀市富士町の天山スキー場

年齢を感じさせない滑りを見せる峯孝廣さん=佐賀市富士町の天山スキー場

 81歳で競技に復帰するスキーヤーが唐津市相知町にいる。半世紀に及ぶスキー人生の大半を指導者として歩んできた佐賀県スキー連盟名誉会長、峯孝廣さん。若い頃、競技に打ち込んだ時期がなかったことが心残りだった。「悔いが残らないように」-。「人生の忘れ物」を取りに帰るように、佐賀市富士町の天山スキー場で14日に開かれる県民体育大会冬季大会のレースに出場する。

スリルに夢中

 スキーの魅力を知ったのは20代半ばだった。もともとは登山が趣味で、親友とロッククライミングにも興じた。この親友の結婚相手から「危ないんじゃない」と心配され、代わりのスポーツを探していたときだった。鳥取県の大山(だいせん)で初めてスキー板を履き、斜面を滑降するときのスリルに夢中になった。31歳のころには、試しに受けたスキーの指導資格試験に合格した。

 転機は9年後の1976年。「県スキー連盟をつくったから一緒に指導してくれないか」。設立間もない連盟の事務局から誘われた。県内には当時、スキーの指導資格を持った人がいなかった。福岡市内の郵便局に勤めていたが、実家がある唐津市の厳木郵便局長に就任することが決まっていたこともあり、指導役を引き受けた。

 シーズン中の休日はスキー漬けで、教え子たちを大山に引率した。1989年に天山スキー場ができてからはそこで魅力を伝え、今でも週に1回、県内の小中学生や県外からの修学旅行生たちを指導している。

裾野広がる

 競技経験は豊富ではない。佐賀に来てからは、天山がオープンしたころの県民体育大会に1、2回出場しただけだ。「もっと競技をしたかった。指導にも生かせたかもしれない」。年を重ねるにつれ、思いが募った。「何か忘れ物をしたような感覚がある」といい、「それなら今から仕上げてみよう」と大会出場を決意した。

 雪国と比べると、佐賀は練習環境が恵まれているとは言えない。競技人口自体は限られていても、裾野は広がり、県連盟の会員数はこの40年で250人にまで増えた。中には、かつての教え子の子どももいる。

 大会前日の13日、この日も天山スキー場で普段通りに子どもたちを指導した。滑る楽しさを体感してもらおうと、説明より体験の時間を長くとる指導に、参加した子どもたちは口々に「楽しい」と笑顔を見せた。

 指導の後、会場となるゲレンデのコンディションを確かめるように1人で滑降。そのスピードをとっても30、40代に引けを取らない。「自分が頑張っている姿を見て、スキーを競技として続けてくれたら」。目標は90歳まで競技でも滑り続けること。年齢へのチャレンジは続く。 


 ひたむきに、前向きに生きている人たちがいます。そんな佐賀県内の人たちや県出身者にエールを送る企画です。(随時掲載)

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