九州での空爆に向かう米陸軍航空軍のB24爆撃機=1945年7月29日、沖縄(沖縄県公文書館所蔵)

 沖縄からの主な攻撃地

 太平洋戦争末期に米軍が、占領した沖縄を出撃拠点に日本本土を大規模攻撃していた実態が7日、機密指定を解除された米公文書で明らかになった。終戦までの約3カ月間に、南部上陸を見据えていた九州など計13県の65カ所以上が標的となり、約7千トンの爆弾が投下された。関東学院大の林博史教授(現代史)が米国立公文書館の陸軍航空軍や海兵航空隊の史料計1万ページ以上を収集、分析して確認した。

 本土空襲に関しては、太平洋マリアナ諸島の基地が拠点になったことや、一部が沖縄からの出撃だったことは知られている。東京大空襲・戦災資料センター(東京都)の山辺昌彦主任研究員は、沖縄からの米軍による本土攻撃の全体像は明らかになっていないとし「史料が網羅的に紹介されれば、全体像を把握する上で意義がある」と評価している。

 米軍は1945年3月に沖縄・慶良間諸島に上陸し、沖縄戦が始まった。激しい地上戦の一方で、沖縄戦闘機司令部の史料などによると、海兵航空隊は同5月13日に、沖縄の読谷飛行場から鹿児島・喜界島の飛行場を爆撃し、本島より北の攻撃に着手。4日後には鹿児島県鹿屋市などの複数の飛行場を標的に九州本土攻撃も始めた。

 別の史料によると九州と薩南諸島などの日本国内(台湾と朝鮮含む)に陸軍航空軍は約7千トン、海兵航空隊は約340トンの爆弾を投下した。

 小さな集落や列車、漁船などあらゆる施設を攻撃。訓練目的の鹿児島・沖永良部島の爆撃や現宮崎県えびの市周辺の通りでの機銃掃射による多数の殺害など無差別に攻撃を行っていたことを示す記述もあった。【共同】

■無差別攻撃、生々しく 集落、列車、民間人…

 太平洋戦争末期に米軍が九州南部上陸を見据えて沖縄から本土攻撃を実施していたことを記した米軍史料には、軍事施設だけでなく、民間人や民間居住地域を無差別に攻撃していた生々しい様子が細かく記されている。

 史料を分析した関東学院大の林博史教授は「米軍の爆撃機や戦闘機が、小さな集落や人が集まっている場所、列車など民間人に対しても無差別に攻撃していることが史料には明確に示されている」と指摘している。

 「機密扱い」の表記のある陸軍の報告書では、1945年8月10日に現在の宮崎県えびの市周辺の「目抜き通りで150~200人の群衆に機銃掃射し、15~20人を殺害した」とあった。

 海兵航空隊の史料によると、F4U戦闘機2機が「テストと習熟飛行」として「8月4日に鹿児島・沖永良部島の集落を500ポンド爆弾2発やロケット弾13発などで攻撃した」という。島内の建物や小屋を破壊し、火災を引き起こし、はしけ数隻を沈めたようだとしたが「敵の(軍事)施設は確認されなかった」としている。【共同】

■先駆的取り組み、活用を

 沖縄国際大の吉浜忍教授(沖縄近現代史)の話 米軍が沖縄戦下から本土空襲のために、旧日本軍が造った飛行場を読谷飛行場や嘉手納基地などとして整備拡張し、さらに普天間飛行場などを造成して備えたのは知られている。しかし、どの飛行場からどの機種がどこを攻撃したかについては具体的に分かっておらず、米軍史料で初めて明らかにした先駆的取り組みだ。沖縄戦研究は旧日本軍史料や住民証言の分析は大体終えた。米軍史料は残されており、活用が重要になる。【共同】

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