8日は成人の日。佐賀県内では8882人が新成人として門出を迎えた。戌(いぬ)年の今年、年男年女となった先輩たちは、どんな20歳を過ごしたのだろう。世代が異なる3人に新成人へのエールとともに語ってもらった。

 

「若いうち海外で見聞広め」

■唐津市・旅館洋々閣会長 大河内明彦さん(83)

旅館洋々閣 代表の大河内明彦さん

 20歳を迎えたのは1954(昭和29)年のこと。東京にいて、大学生だった。マージャンばかりしていたけれど、学生運動が本格化する少し前で、周りにはそういう雰囲気があったね。

 若者が近年、保守化しているというのには驚く。若さは体制に反抗するエネルギーのようなもの。反発こそ青春のシンボルだった。

 学生のころは「海外に行ってみたい」という気持ちが何より強かった。当時はお金があっても、試験に合格して国が認める留学生になるなどしないと、自由に渡航できない時代。私が初めて国外に出たのは34歳のとき。海外に持ち出せる上限の500ドルで100日間、米国を旅した。

 若い人は海外で見聞を広めてほしい。大学に進学する前に1、2年、世界を見て回る期間があってもいい。その上で、日本人として何をすべきなのかを考えてほしいね。

 

「人とかかわり優しく、成長」

■佐賀市・アロマセラピスト 中尾朱実さん(59)

20歳のころについて話す中尾朱実さん=佐賀市

 成人を迎えたのは1970年代後半。女性で初の技術職として九州電力に入社して2年目で、先輩にかわいがってもらった。一方で男女雇用機会均等法の施行前で、朝、昼、午後3時と夕方のお茶酌みや片付けが当たり前。「もっと技術系の仕事をしたい…」って、もんもんとしていた。

 ダンスパーティーがはやり、唐津営業所でのイベントに参加した。高度経済成長期の名残で、確かに給与は毎年上がったけれど、すごく豊かになったという実感まではなかった。

 遺児支援にかかわっていたこともあり、10年ほど前にアロマセラピストになった。若い人に接する機会も多く、みんな素直だなと思う。ただ、情報ツールの普及で、顔を付き合わせるシンプルな人間関係ではなく、複雑化している気もする。時代が変わっても大切なのは人とのかかわり。それが優しさや成長につながる。

 

「もっとギラギラ意志示せ」

■佐賀市・トヨタ紡織九州 中畠嘉之さん(35)

トヨタ紡織九州レッドトルネードの中畠嘉之さん

 20歳のころは、大学日本一や世代別の日本代表を目指してハンドボール漬けだった。実業団から少しずつ声を掛けてもらえるようになったけれど、目の前のことに精いっぱいで、将来は深く考えていなかった。

 僕らは、同年代が起こした神戸連続児童殺傷事件(1997年)などを引き合いに「キレる世代」と呼ばれたときがあった。成人したころは就職氷河期が続いていて、非正規で採用になった友人もいる。そういう意味では、我慢を強いられた世代でもあったのかな。

 いま学生や若手選手と接すると、アドバイスを素直に聞いてくれる。僕が新人のころは先輩と対立したこともあった。もっとギラギラと意志を示していい。

 チームでは最年長になった。退いた後を考えると、コーチングなどを勉強しておけばよかったと思う。いろんな経験を積んでおくことが将来につながる。

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