平昌(ピョンチャン)冬季五輪の開幕が迫ってきた。国家主導のドーピングが明らかになった後も、その事実を認めず、世界反ドーピング機関(WADA)のさまざまな要請に対し、誠実に対応しなかったロシアは、国旗と国歌の使用を禁じられたものの「ロシアからの五輪選手」の名称で参加を認められた。

 日本は今回、スピードスケート、フィギュアスケート、スキーのスノーボード、ノルディック複合、ジャンプなどで好成績が期待される。レベルの高い選手が幅広い種目にそろった印象だ。

 冬季スポーツの選手が育つためには、小さい頃から利用できる特定の練習環境が整っていることが欠かせない。夏季スポーツと違って、それは学校の運動場や体育館というわけにはいかない。

 雪の積もる山や丘、あるいは滑らかで平らな氷のリンクが、自宅から通える範囲にあれば理想だ。そのような環境の整備には、どうしても行政の支援か、民間のサービスが必要だ。使用料がかからない、もしくは低額で使える施設が多ければ多いほど、当然のことながら、優秀な選手が育つ可能性は大きくなる。

 子どものときに、もしもそのような施設がなかったなら、五輪代表になっていなかったという選手は大勢いる。1998年長野五輪に出場した地元の荒川静香さんにあこがれ、姉がフィギュアを始めなかったら、羽生結弦選手は4歳で仙台市のリンクに立つことはなかったかもしれない。

 そのリンクは経営上の理由から閉鎖されたが、荒川さんが2006年トリノ五輪で金メダルに輝くと、市民が再開要望の声を上げ、再び営業を始めた。羽生選手は中学生の頃、ここで技術を磨いた。

 北海道下川町のスキージャンプ少年団は今、夜間照明のある町営施設で練習している。「生きる伝説」となった地元の葛西紀明選手の活躍に勇気づけられた自治体の支援が大きい。ここで育った伊藤有希選手が、上川町出身の高梨沙羅選手とともに平昌での活躍を期す。

 カーリング女子の5人中4人は北見市常呂町の出身だ。1988年に国内初の屋内専用競技施設ができた「日本の聖地」に、北見市は2013年に国内最大級で、夏も利用できる施設を整えた。

 町から五輪選手が誕生し、その活躍によって町がそのスポーツに対する関心を高める。行政が支援に着手し、民間企業が関連ビジネスに乗り出す。そのことで整備される施設から、次世代の五輪選手が生まれる。

 このサイクルを安定的に築くことができたとき、スポーツは町に根付き、さらなる発展へのエネルギーを蓄える。スポーツを中心に市民の笑顔が広がり、憩いの場となった施設に子どもの歓声が響く。これが理想だ。

 冬季スポーツが身近にある自治体は、そのような発展の可能性を頭の隅に置いて、平昌五輪を見つめてほしい。

 名古屋市のリンクで育ったフィギュア選手の五輪出場は途切れることがない。1992年アルベール五輪で伊藤みどりさんが銀メダルを獲得し、2010年バンクーバー五輪では浅田真央さんも銀メダルを獲得した。

 5歳で遊びに行ったリンクで、浅田さんに声を掛けられ、次第にこの競技に魅せられていった宇野昌磨選手は羽生選手と並んで表彰台に上がるだろうか。(共同通信・竹内浩)

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