来年4月末に幕を下ろす平成にも思いを巡らせた半藤一利さん。「日本よ、穏やかであれ」と語り掛ける=東京都世田谷区

 幕末以降の日本の歩みをたどり、歴史を捉え直す作家半藤一利さん(87)へのインタビュー。話題は明治後期から現代まで及んだ。

 

 -「西南の役」で新政府が勝利し、国家づくりは新たな段階に進む。

 西南の役を境に木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通といった新政府のリーダーが次々に亡くなり、伊藤博文や山県有朋が天下を取った。歴史とは分からないものだ。設計図がないままにスタートした新政府による国家づくりは、軍事力の強化が中心になっていく。

 西南の役で新政府軍の参謀長を務め、戦場と政府との意思疎通に悩んだ山県は明治11(1878)年、独立した軍令機関である参謀本部を設置した。これによって軍隊指揮権、いわゆる統帥権を独立させた。大日本帝国憲法ができる10年以上前に、この国は軍事国家になった。このことが日清戦争や日露戦争での勝利を含め、その後の歴史をある程度、決めてしまった。

 

 -日露戦争を近代日本の転機と捉えている。

 日本人は本気になって強い国家をつくろうと努力した。汗水を流し、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の思いで精を出した。そして日露戦争に勝った。問題はそこからだ。目的を達成したらやめる約束で増税したが、勝った後も元に戻さなかった。元に戻すと、いつロシアに攻め込まれるか分からないと思ったのだろう。

 国民につらい思いをさせるには名目が必要だ。「世界の大国になった」と国民に信じ込ませ、国民の側も本当の国力、欠点を見ることをしなかった。ここで、現実を冷徹に見つめるリアリズムを見失っていく。

 指導者は日本の国力の程度や、多くの苦労を強いることを国民に知らせなければならなかった。だが、それをせず、自分たちだけ偉くなった。軍人の爵位を上げるために日露戦争を肯定的に書き残し、歴史を美談化してしまった。

 幕末の勝海舟はどうだったか。勝は日本という国の限界を見定め、冷静に情報や情勢を分析し、いま何が大事かをきちんと判断した。これがリアリズムで、こうした姿勢を失わないようにしないといけない。

 

 -「明治維新150年」、そして平成の終わりという節目も後世に歴史として振り返られることになる。

 来年には天皇陛下が退位され、平成が幕を下ろす。私たちがこれからの日本をつくっていくためには、平成とはどんな時代だったかをきちんと歴史として残しておく必要がある。

 明治150年をどう報じるかも、歴史を残すための試金石になる。「150年前に素晴らしい国家をつくったんだ」というお祝いムード一色になるなら、それは違うんじゃないですかと思ってしまう。現代史をつづるのは新聞などのメディア。だが、今のメディアにそれが期待できるだろうか。

 

■「日本よ、穏やかであれ」

 

 -攘夷(じょうい)思想が幕末の日本を席巻したが、今でも外交問題では強硬な言説がみられると半藤さんは指摘する。

 日本人の多くは外圧を感じた時に過敏に反応してしまう。これは今も変わらない特質だ。作家の司馬遼太郎さんは「日本人の心の中を一尺掘れば、攘夷は必ず顔を出す」と話していた。

 「北朝鮮が核兵器を保有するなら日本も持たなければならない」などと話す人がいるが、唯一の戦争被爆国であることを考えれば、とんでもない話だ。本屋に行くと嫌韓、嫌中の本が積んである。今の日本でも攘夷が顔を出している。そのことに危機感を覚える。

 

 -トランプ米大統領の言動に象徴されるように、自国中心主義が世界で目立つようになってきた。

 協調主義を目指した世界が自国中心主義にひっくり返るのは初めてではない。

 第1次世界大戦後、国際連盟をつくり、不戦条約を成立させるなど、米国が世界平和のために表に出た時期があった。だがウォール街に端を発した昭和4(1929)年の世界大恐慌で反動が起きた。どの国も、米国に倣って国益だけを追求するようになった。この結果がヒトラーの台頭であり、日本の海外侵出だった。国際連盟は力を発揮できなかった。今の国連も似たような状況かもしれない。

 

 -今日の世界でも、平和が脅かされつつあると半藤さんは危惧(きぐ)している。

 日本が率先して世界平和の旗振り役になるべきだろう。核兵器なんてとんでもないということを本気になって世界に訴え、リーダーシップを取る資格を持っている。広島、長崎で核兵器の悲惨さを経験した。そして、ある程度、大国でもある。米国の腰巾着になっていることはない。

 

 -天皇陛下が2019年4月末に退位される。

 私は今年で88歳になる。天皇陛下とは戦後を、同じ時代を生きてきたという感覚を持っている。

 憲法にある象徴としての天皇像をきちんと定義した人はいない。象徴とは何なのかを、天皇陛下は憲法ができた時から考えてきたのではないか。疎開先から戻り、目の当たりにした東京の焼け野原の記憶も大きかったはずだ。

 軍人教育を徹底された昭和天皇とは異なり、天皇陛下は現憲法の下で育った。皇后陛下と二人三脚で「象徴天皇かくあるべし」という形をつくってきた。それを元気なうちに、皇太子夫妻に譲り渡したいという思いもあるのではないか。

 新しい天皇を若い人がどういう気持ちで迎えるかには、若干の不安もある。「現人神(あらひとがみ)」ではなく「人間天皇」として象徴像をつくりあげた苦労を、同時代人として共有していない世代が増えたからだ。

 

 -混迷を深める時代に問い掛けたいことがある。

 日本人はもともと穏やかな民族だ。それは肥前の特徴でもある。だが、穏やかさが失われた戦争の時代もあった。それを、司馬さんのように「特別な時代」だったとは思わない。歴史は断絶することはなく、つながっているのだから。

 私は東京大空襲を経験した。戦争が国土をむちゃくちゃにしたことは骨身に染みている。日本はその教訓を生かさなければならない。「日本よ、いつまでも平和で穏やかな国であれ」。そう語り続けたい。

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