対談する北方謙三さん(右)と原泰久さん=東京都千代田区の集英社

 幕末期、全国が刮目(かつもく)する技術革新や先進的な医学の導入を進め、希代の名君と呼ばれた佐賀藩10代藩主鍋島直正。作家の北方謙三さん(70)=唐津市出身=と漫画家の原泰久さん(42)=三養基郡基山町出身=による対談の後半は、歴史大作を手がける作家の視点から直正評を語る。

 

 歴史を舞台にした創作活動に取り組む作家の北方謙三さん(70)=唐津市出身=と漫画家の原泰久さん(42)=基山町出身=による幕末維新をテーマにした歴史対談。後半は、藩政改革を主導し、佐賀藩を雄藩に押し上げた鍋島直正の評価、そして当時の人々の歩みからくみ取るべき教訓について語り合った。(進行役・富吉賢太郎編集主幹)

 

 -鍋島直正、江藤新平ら幕末維新期の改革を先導した佐賀の偉人は、その功績の大きさとは裏腹に佐賀県民の認知度は低い。

 北方 肥前には西郷どんみたいな人はいなかったわけですよ。桂小五郎、坂本龍馬みたいな人もいない。薩長土には、象徴的な英雄というか偶像的な人がいました。肥前では、それが鍋島直正だったんですよ。

 もう一ついえば、藩主に対峙(たいじ)して説得できる人物がいなかった。(直正は)全体を見て、跳ね上がりそうなやつを抑えていたのかもしれません。

  僕の読んだ資料では、鍋島直正は長崎の出島で外国船を見て「内戦をやっている場合ではない。日本のために先進技術を手に入れねば」と必死になったとありました。外国との技術の差、戦力の差を的確に分析した直正は本当に頭が良かったのだと思います。

 -全藩士の子弟を対象にした藩校弘道館での教育、鉄製大砲や蒸気船の製造、種痘などの導入…。功績は枚挙にいとまがない。

  いや、そこはもう倒幕に最後の方まで関わっていないというところがすごい。絶対にそんな軍事力を持っていたら、薩長、幕府両方から「こっちにつけ」と声がかかるし、脅しも相当あったはずです。

 北方 親戚の島津斉彬は佐賀の技術のすごさは知っていたと思います。ただ、薩摩は肥前に声をかけるよりも、先に行かなくてはいけないという状況がありました。常にどちらかに動かなければ、やられてしまいますから。倒幕軍を出すまでは、長州征伐にも加わっていました。それぐらい、非常に錯綜(さくそう)した政治状況と軍事状況だったのです。

 

書いた色紙を贈り合う北方謙三さん(右)と原泰久さん=東京都の集英社

 -直正を主人公にした作品を読んでみたいと期待する県民は多いだろう。

 北方 書くとしても、主人公になかなかなりきれないですね。いわゆる劇的なものがないので、一人屹立(きつりつ)しているものがないんです。西郷や龍馬みたいに。直正はそうならないようにしていて、その分、深いものがあったかもしれません。そういう人を小説の中で際立たせるのは大変です。

 -「明治維新150年」の節目に立ち、新たな地域づくりも含めて、あの激動の時代から学び取る教訓があるのではないか。歴史の捉え直しの意味合いも含めて、どう考えるか。

 北方 あの時の慎重さですね。今、いろんな事業がどんどん出て、地方自治体としては飛びつきたいものがいっぱいあるかもしれないけれど、きちんと見極めて確実なものだけ自分のものにしていけばいいと思います。長州や薩摩のまねをしてもしょうがない。佐賀の県民性は堅実さです。注意深く、いろんなものを見て判断するという県民性を生かすべきでは。

 歴史というのは、その場その場で考える人は考えます。佐賀の人の中で知らしめる活動を新聞社でやってほしい。そういうことをすると、維新というものが必然的に浮かび上がってくるんじゃないでしょうか。佐賀はどうあるべきかということも含めて。

  今、僕は福岡に住んでいますので、戦後70年という視点も切実に持っています。中国、北朝鮮の問題があるからです。日本人は今、日本をどの方向に向かわせるか真剣に考える時期に来ていると思います。150年前の明治維新期、志士たちは日本のために命懸けで闘いました。しかし一方で、佐賀には特殊な視点がありました。物事を冷静に見定める視点。それもすごく大事なことかもしれません。

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