米軍機とみられる機体から発射された二つの火の玉=10月11日午後、広島県北広島町(岩本晃臣さん提供)

 2017年が終わろうとしている。この1年も国内、海外ともに混乱続きだった。森友・加計問題はもう忘れられたのだろうか。ロヒンギャの民族迫害はローマ法王フランシスコがミャンマーを訪問しても解決には至らなかった。混乱を見過ごしている私たちにも責任があり、「収穫」と言えるものはあったのか。はなはだ疑問だ。

 今年の出来事で最も不愉快だったのは、広島上空での米軍機による火炎弾「フレア」の訓練だった。広島の空に、ごう音とともに機体が現れ、火の玉のようなものが発射される映像をテレビなどで見た人も多いだろう。

 その時に感じたのが、米軍の無神経さだ。「フレア」は、対空ミサイルの命中を防ぐための「おとり」の火炎弾だが、自衛隊が同様の訓練を行う場合は海上で実施するという。陸上の、しかも広島の上空での不気味な光と煙が、原爆を経験した広島住民をどんな思いに至らせたかは想像に難くない。

 一方、沖縄では、米軍ヘリの金属製の窓が落下した。小学校の校庭に、である。事件翌日の新聞各紙では1面トップで大きく紙面を割いた社もあった。この事件の数日前には、米軍ヘリの部品が保育園の屋根で見つかるという事件も起きている。

 こうした事件や事故が起きるたびに感じるのは、現地の人たちの不安や抗議の声が、国民的な規模で広がることはないということだ。特に、沖縄で繰り返される米軍関係の事件事故では、新聞などのメディアで取り上げられることはあっても、社会全体で共有する空気は乏しい。

 それどころか、保育園での落下物を「自作自演だ」と中傷するメールや電話が殺到したという。これが今の日本の姿だ。沖縄が置かれた歴史的な実態から目をそらし、沖縄を攻撃する。いつからそうなったのか。おそらく多くの人が、沖縄への傍観的な姿勢を続けることで、さまざまな戦後の矛盾を遠ざけ、誤った沖縄観をつくり出すことで、その責任から逃れようとしてきたのではないだろうか。

 米軍による事件事故が起きるたびに、日本政府による米国への、おきまりの「自粛要請」などを見ていると、あからさまに「自国第一」を掲げる米国との関係が、今後どのように進展していくのかと思う。米国の「友好国」という顔と、「従属国」とも指摘される立場。この関係をどう捉えていくかがこれからの課題だろう。

 来年は、平成の時代が終わりに近づき、新しい時代に向けた助走の年となる。憲法改正論議が進む中で、戦後長く指摘されてきた「対米従属」についても話題になる機会が増えていくだろう。多くの矛盾に対して目を背けずに、向き合って考える。そうした議論を始める年にしたい。(丸田康循)

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