本村容子さん

 生まれた当時は「江北村」でした。小学4年の時、町制施行記念の町踊りに出たのを覚えています。幼い頃は駅北の桜山が遊び場で、手作りのそりや段ボールでよく岩を滑って遊びました。

 その頃の江北小は1学年が8学級もあるマンモス校でした。教員になり、1969年に杵島炭鉱が閉山すると、クラスから1年に4、5人も転校していきました。子どもたちに手紙を書かせる暇もないペースでした。

 特別支援学級を担任したことで、「この子たちが卒業後も生きる実感を持ち、仲間とつながれる場が必要だ」と思うようになり、定年退職後の2003年に福祉作業所を立ち上げました。授産所は町外れにあるのがまだ主流な中でしたが、いろいろな助けで駅近くの優良地に建てることができました。しかも周りから何の抵抗感も感じませんでした。おかげで今では電車通勤者も含め20人が働いています。

 江北の人は温かい。これからも、高齢者にも障害者にも優しく、理解し、協力して支えてくれる人たちの暮らす町であってほしいですね。(江北町山口)

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