山一証券や北海道拓殖銀行などの大手金融機関が次々と倒れ、日本経済が崩壊の淵をのぞいた1997年の金融危機から20年が経過した。

 公的資金の投入による一時国有化などの荒療治によって不良債権は大方処理、大手銀行は3グループに集約された。自己資本も分厚くなり金融システム自体は当時と比べ安定している。資金調達できず債務不履行が相次ぎ、市場に疑心暗鬼が広がるような切迫した状況には少なくともない。

 だが、それはこの間に断行された改革の最低限の成果にすぎない。地価は絶対下がらないとする「土地神話」や、下落した株価はいずれ高値水準に戻るという根拠のない確信に頼り切った微温的な経営は破滅的な末路をたどった。公的資金の毀損や巨大企業の解体など大きな犠牲を払って得た貴重な教訓は、痛みを伴う改革を先送りすることなく長期的な課題に取り組むことの重要性だった。金融機関はこれを十全に生かせているだろうか。

 大手銀行は最近、相次いで人員の大幅削減を打ち出した。厳しくなった事業環境への対応策だ。しかし人を減らすだけで十分なのか。資金需要が乏しくなり融資で安定した収益は見込めなくなったことや、マイナス金利も取り入れた日銀の大規模金融緩和で市場金利は低下し運用環境が厳しくなったことは、何も昨日や今日に突然起きたわけではない。

 少子高齢化の急速な進展に伴う国内市場の縮小やデフレ下の市場、消費者行動の変化への対応策は長らく、金融業はもとより、あらゆる産業にとって非常に大きなテーマになっていたはずだ。

 さらに、ITと融合した金融サービス「フィンテック」、人工知能(AI)の活用が広がり、決済や送金といったビジネスも異業種からの参入が見込まれ、金融の独壇場でなくなるのは確実だ。環境の激変が及ぼす影響について正確に認識、危機感を抱いているならば、対応策は人員削減にとどまらないのではないか。

 さらに深刻なのは地銀や信用金庫、信用組合などの地域金融機関だ。地方は人口減少が都市と比べ急速に進み、資金需要の落ち込みは深刻だ。限られた優良な融資先を、低い金利を提案し合って奪い合う構図が続いてきた。融資による収益は悪化、2017年3月期では地銀の大半が貸し出しなどの本業で赤字を計上している。

 このような悠長な経営が許されたのは資金を国債で運用すれば一定の利ざやを得ることができた時期が続いたからだ。しかし今は国債運用で安定した収益を上げることは困難になっている。

 中小企業などの顧客が地元の金融機関に求めるサービスは明らかに変わってきた。販路開拓や代替わりの際の円滑な事業継承などで的確な助言を求めている。生き残りをかけた経営統合の動きもみられるが、その前に事業内容自体を抜本的に見直すことが欠かせないだろう。経営者は時代が変わったことを認識しなければならない。

 金融機関はただ利益を上げればいい私企業ではない。預金者や投資家と事業会社をつないで成長を促し、日々の決済などを通じ社会基盤を支えている。この機能を安定させ、さらに磨き込まなければ20年前に払った高い授業料は水泡に帰してしまう。(共同通信・高山一郎)

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