古い写真を見ながら杵島炭鉱閉山50周年記念行事について話し合う有志ら=江北町の新町公民館

石倉秀郷さん

武富健治さん(右から2人目)

スポーツ鬼ごっこの体験会で、コーンに設置された「宝物」をめぐり攻防を繰り広げる子どもたち=江北町の江北小

江北町の約半世紀を写した数々の写真が飾られている=江北町役場

1969年(昭和44年)4月17日、ストップした炭車の行列に寂しく見入る鉱員。炭鉱は24日に閉山した。=杵島郡江北町

交通の要所である肥前山口駅前(資料・江北町・1965年・昭和40年11月6日)

 かつて全国屈指の優良炭を産出した杵島炭鉱の閉山から2019年で50周年になることを見越して、抗口があった江北町上小田地区の住民らが、記念行事を計画している。産炭地としての町の記憶が薄れる中、企画する有志らは、歴史を見つめ直し地域づくりの機会にしたいと、さまざまな企画を考えている。

 

 計画しているのは、上小田地区の6区の区長や公民館長ら約10人。今月9日にも4回目の会議が新町の公民館で開かれた。

 記念行事の具体的な内容は協議中だが、会議では、産炭地の記憶をとどめる写真の数々を、地図と照らし合わせて展示する写真展や、かつての炭鉱労働者に語ってもらった思い出をまとめて何らかの形で紹介するといった案が出ている。また炭鉱労働者が使っていた道具を紹介したり、福岡県筑豊地方の炭鉱の様子を描き、日本で初めて国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界記憶遺産」に登録された山本作兵衛の記録画を借り受け、展示するなどのアイデアも持ち上がっている。

 杵島炭鉱は、多久出身で「肥前の炭鉱王」と呼ばれた高取伊好(これよし)(1850~1927年)が1909年に創業。39年には江北町上小田に「第五抗」を開削した。石炭需要の高い戦時体制下、一時期は炭鉱住宅の人口が町の半分を占めるほどになった。59年には経営権が住友石炭工業所に移り、69年にはエネルギー革命の波を受けて閉山に至った。

 発起人で平山区区長の中田克美さん(68)は「父も働いていた炭鉱が閉山して再来年で50年と知り、節目に何かしたくなった。炭鉱地域だけのイベントにはせず、炭鉱の歴史を知らない人にも知ってもらう機会になれば」と話している。

 

 

 

 

 鉱員の姿や肥前山口駅通りなど

 

 「佐賀新聞で見る写真展」 江北町役場ロビーで

 

 「佐賀新聞で見る写真展江北編」が、江北町役場ロビーで開かれている。1965年から今年まで約半世紀の江北町を、モノクロやカラーのA3版写真24枚で振り返ることができる。

 現在と同じ場所にあった瓦ぶき2階建ての町役場を撮影した一枚や、商店街のようにたくさんの看板が通りに顔を出している1965年のJR肥前山口駅北側の様子など、60年代のモノクロ写真も複数枚飾られている。

 杵島炭鉱をめぐっては、抗口そばで働く鉱員らや、閉山した様子を撮影した写真も。最近では、六角川にかかる新渡大橋の開通を記念したロードレースや、上小田の馬頭観音の前を通る七福神行列を収めたものもある。

 会場では来庁した町民が立ち止まって1枚ずつ見入っては、撮影当時のことを振り返って談笑を交わしていた。坂井俊和さん(56)はJR肥前山口駅北側の写真を眺め「変わっていないようだけど懐かしい」と目を細めていた。

 開庁時間は午前8時半から午後5時15分まで(火曜日は午後7時まで)。

 

 

 

「スポーツ鬼ごっこ」体験 相手陣地の宝物奪い合い

 

 鬼ごっこに競技性や戦略を加えた「スポーツ鬼ごっこ」の体験会がこのほど、江北町の江北小であった。同校1年のうち希望した約20人が、普段楽しむ鬼ごっことは違うゲームに「難しいけど面白い」と夢中になった。

 スポーツ鬼ごっこは、コート内で相手チームの陣地にある「宝物」を奪い合うゲーム。相手の陣地内でタッチされると自陣のスタート地点まで戻るルールで、相手の攻撃を防ぐ上では自陣の宝物から一定距離以上離れなければならない。

 子どもたちはルールの説明を受けた上で、7人ずつのチームで対抗戦を楽しんだ。ゲームに慣れてくると、守備が手薄であることに気づいた子どもが「あと2人いてほしい」「誰か守って」と仲間に呼びかける場面もあった。

 スポーツ鬼ごっこは約20年前に考案され、鬼ごっこ協会(東京)が普及を図っている。体験会は同協会と同町の放課後児童クラブの受託運営会社が共催した。参加した岸川侑冬(ゆうと)君(6)は「相手の宝物にばれないように近づいていくと取れた。学校でもやりたい」と笑みをこぼしていた。

 

 【ふるさと賛歌】

 

 石倉秀郷さん(68)佐賀県議会議長  町に一体感、一声運動も

 

 実家では米麦とミカンを作り、乳牛の酪農もしていた。幼い頃は、収穫時期が終わった後のミカン山に友達と上り、残りをちぎったりして遊んでいた。青年団では、にわかの寸劇を演じるなどして地域おこしにも精を出した。よその地区から劇を見に来る人もいたりして、にぎわっていた。

 一方、江北町はかつて鉱害が深刻だった。土地が沈下し、ちょっとした雨で農地も家屋も学校も水浸しになった。県全体の鉱害復旧費のうち、半分に当たる約1千億円が江北町に投じられた。また政争の町でもあったが、鉱害復旧が進むとともに、町の一体感も醸成されてきたと感じる。

 大人社会が落ち着いたことで、子どもたちも順調に育っている。子どもを見かけたら地域の大人が一声かける「一声運動」も、江北では実践できている。

 日本全体が人口減少と税収減の時代。合併自治体でなくとも、隣市町との広域連携により、小さな費用で大きな効果を上げる取り組みも今後、検討すべきだと思う。(江北町山口)

 

 漫画家・武富健治さん(47)景色も活気も変わらずに

 

 父の実家がある江北町で生まれました。住んでいたのは1歳ごろまでですが、その後も祖父母や親戚を訪ねて、現在はなくなった寝台列車で帰ってくるのが楽しみでした。小さな駅でも寝台列車が止まるような分岐点となっていることは、子ども心に自慢にも感じていました。

 27歳で漫画家デビューし、映画やドラマにもなった「鈴木先生」が代表作です。最近では、芥川賞作品を漫画化した「火花」が11月、上下巻で出ました。原作の又吉直樹さん自ら指名いただき、商業主義的なコミカライズとは一線を画した作品になりました。次は、佐賀での取材も含め何年もかけて準備してきた古代史の作品に取りかかります。

 取材で全国に行きますが、衰退する地域はまず子どもたちを見なくなります。一方、江北では子どもの姿が途切れない印象です。人口減少時代に、景色も活気も変わらずにいること自体が貴重です。欲を言うと、「江北といえば」という特産品があればうれしいですね。(江北町山口出身)

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