今は根絶した天然痘(とう)だが、長く人類を苦しめた疫病だ。日本の史書に初めて現れるのは8世紀の奈良時代。日本書記に「幼い子どもが多数死んだ」との記述がある◆「瘡(かさ)いでて死(みまか)る者-身焼かれ、打たれ、砕かるる如(ごと)く」とあり、瘡を発し、激しい苦痛と高熱を伴うという意味で、天然痘の最初の記録とみられる。その後も大流行を繰り返し、江戸期には予防接種が試みられた。牛痘法による種痘を日本で最初に成功、普及させたのは佐賀藩である◆嘉永2(1849)年、藩主鍋島直正の許しの下、藩医が今のジャカルタから痘苗(とうびょう)(ワクチン)を取り寄せた。藩医や直正の子に接種してうまくいくと、全国に広がっていく◆直正が娘の貢姫(みつひめ)に江戸での種痘を勧める手紙が残っている。「もはや大丈夫と思うが、用心のため、もう一度引痘してくれれば安心なのだが」。愛娘を案じる親心が伝わる。最先端の科学技術を導入しただけでなく、西洋医学にも心血を注いだ佐賀藩。天保5(1834)年、直正によって医学寮が創設されたことに始まるのが好生館である◆県医療センター好生館は、直正の功績や佐賀の医学の歴史を広く知ってもらう初の記念シンポジウムをきょう、午後1時半から佐賀市のホテルニューオータニ佐賀で開く(無料、申し込み不要)。名君の軌跡と精神をたどりたい。(章)

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