何気ない描写から、私たちにもなじみの風景が浮かび上がってくる。「山腹からころがり落ちそうな格好でかたまっている家々の屋根」「両側にごちゃごちゃと家が建っている急な狭い道」―。長崎の街である◆日系英国人カズオ・イシグロ氏の長編第1作『遠い山なみの光』は、5歳まで暮らした長崎が舞台。インタビューでイシグロ氏は、母親の被爆を明かして「ある意味、私は原爆の影の下で育った」と語っている◆きょうノルウェーでノーベル賞授賞式がある。長崎ゆかりのイシグロ氏に文学賞が、核廃絶に取り組む国際NGO「ICAN」に平和賞が贈られる。「記憶」をテーマに物語を紡いできた作家と、被爆者の体験を世界へ広げるNGO。同時受賞は、単なる偶然とは思えない◆両者に贈られる賛辞の一方、日本政府には冷ややかな視線が向けられているようだ。日本が提案する国連の核兵器廃絶決議が可決されたが、今年は賛同する国が一気に減った。理由は明らかだろう。核を持たない国々がまとめた「核兵器禁止条約」に、日本が背を向けたからだ◆小説では主人公・悦子が稲佐山から街を見下ろして焼け跡を思う。「楽天家でいようと決心していたの。ぜったい幸せになろうと思うのよ」―。あの焼け跡の“記憶”を繰り返してはならぬ。それだけは、はっきりしている。(史)

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