鳥栖市南部を流れる大木川と水屋町の町並み

 私たちは車や航空機など、交通網が大変発達した中で生活しています。しかし、かつて交通・流通に大きな役目を果たしていたのは水上交通でした。

 鳥栖市南部を流れる大木川を挟んで高田町と水屋町があります。鎌倉から室町・戦国時代にかけて、この地域を中心に活動し、筑後川の水運業に携わっていたのが高田氏です。

 高田氏の名前は鎌倉時代はじめの文書に見られ、この頃から活発な活動を行っていたようです。少し時代が下った室町時代の応永24(1417)年~同26(1419)年に、養父郡高田村住人高田善通が肥前国一宮である千栗八幡宮へ全六百巻からなる大般若経を施入しました。この六百巻という膨大な数は、高田善通が当時財政的に大変豊かであったことを示しています。さらに、この大般若経の作成には鳥栖の人だけでなく、現在の長崎県諫早地域の人々も協力しており、筑後川から有明海を通じて幅広い活動と交流を行っていたことが分かります。

 また、水屋町にある正行寺は戦乱深まる永禄年中(1558~1570)に再興されたと伝わりますが、この再興に携わったのが長者と称された高田弾正という人物で、往時の様子を伝える石碑が正行寺の一角に残っています。

(地域リポーター・田中健一=鳥栖市儀徳町)

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