初代の会津藩主を務めた保科正之(ほしなまさゆき)は徳川家康の孫にあたり、高遠(たかとう)藩主と山形藩主を経ている。今でいう社会保障制度をいち早く取り入れ、希代の名君といわれた人だ◆会津藩主につくと、1655年から領内各地に「社倉(しゃそう)」を設け始める。社倉米(備蓄米)を貯蔵し、困窮者に貸し出したのである。事情によっては年貢の徴収を2、3年猶予することもあった。このおかげで領民は飢饉(ききん)の時も餓死せずにすんだ◆藩の人口を増やし、国力をつけていく政策をとる正之は、口減らしの「間引き」を禁じる。さらに身分男女の別なく、90歳に達した者に終生1人扶持(ぶち)(1日米5合)を支給した。日本初の養老年金制度といっていい(中村彰彦著『保科正之』)◆翻って、現代の日本。人々が安心して暮らせる社会保障制度が危ぶまれている。「団塊の世代」がそろって75歳以上になる年の「2025年問題」。医療や介護の費用の急増に、国家財政は耐えきれるだろうか◆来年度予算編成が今月、大詰めを迎える。膨らむ一方の社会保障費。高齢化に伴う自然増のうち、国は1300億円圧縮する方針だが、老後の不安はますますサイフのひもをかたくする。生活あってこその消費であり、その不振が経済の足かせになる。志と知恵があった正之。民政で振るった、その血の通った手腕こそがほしい。(章)

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