嬉野市にある実家の前の畑にイノシシが現れたのは10年ほど前ではなかったか。子どものころでさえ、周辺でイノシシの話は聞いたことがなく、とても驚いた。

 以降、田畑のようすが気にかかり、車で移動する際など注意するようになったが、人の手が入らず草が生え放題の田畑が少しずつ増えてきているように見える。

 限界集落という言葉を耳にしたのも10数年前だった。耳障りが悪く、「佐賀はまだまだ大丈夫だろう」と思っていた。しかし、今では地域に残っていた担い手たちも高齢者となった。

 高齢者のみの世帯も多く、やがて自立した生活が難しくなり、福祉施設へ1人、2人と入所するようになる。病気などで亡くなる人も出てきて、地域社会が成り立たなくなっていく。こうした現実を今、目の当たりにしている。

 農作業を手伝ったのは40年以上前。ふと気づけば実家が所有していた農地も山林もどこにあったのか、分からなくなりつつある。

 増田寛也元総務相ら民間有識者でつくる研究会は10月、持ち主を特定できない土地が九州の面積を上回る410万ヘクタールに達しているとの試算を公表したが、残念ながらあまり違和感を抱かなかった。

 田畑の荒廃の原因はさまざまあるが、中でも農業従事者の高齢化や後継者不足などの要因が大きいと実感する。子どもたちが成長して地元を離れ、田畑を守っていた両親も年老いて周囲の人に耕作を依頼する。しかし、委託を受けた人も高齢化した場合、その次に耕作を請け負ってくれる人を見つけるのは容易ではない。地域農業を法人化により維持発展させようと農事組合法人をつくる動きや公的な支援制度もあるが、それがままならない地域も多いはずだ。

 こうした地域力の衰退は、何も中山間地や農村地帯、都市部の周縁などに限らない。佐賀市の中心部でも、子どもが同居していない中高年世帯はいくらでもある。空き家も珍しくない。マンションなどの集合住宅や、同時期に販売された戸建て住宅の団地などは比較的年齢の近い世代が多く、高齢化も同時に訪れやすい。

 10年後や20年後、自分の暮らす地域がどうなっているか、理想はどうなっていた方が良いのか、そのために今からやれることは何なのか。地域の将来像を考えておくべき時代に入った。

 日本の人口は明治維新のころ、3300万人だったといわれる。それが150年間で約4倍の1億2800万人まで急増してピークアウトし、これから急激な人口減社会に入る。厚労省の推計ではわずか23年後の2040年には2000万人も減って1億700万人に、佐賀県は現在の82万から68万人に減るとされている。

 人口減少は阻止できないが、減りながらもいかに豊かで幸せに生きていけるまちにするかを考えなければならない。先人の例として、佐賀藩は明治維新のころ、健全な危機意識を持っていたからこそ、維新の立役者になれたとの指摘がある。

 いかに持続可能な社会を築いていくか。今、私たちはその分水嶺に立っているのではないか。それに対して、きちんと向き合って、有効な手だてを打てているのか。急がなければ間に合わなくなると心配している。(高井誠)

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