体験者発表をする吉村静代さん=鳥栖市のサンメッセ鳥栖

 熊本地震は益城町、西原村、南阿蘇村の被害がひどかった。益城には熊本空港がある。阪神大震災のとき30年間に起こりうる地震発生率は熊本7%と聞いて、まだまだよね、と思う一方で、もしかしたら次は熊本かもと思っていた。

 指定避難所ではなかったが、益城中央小の体育館へ行った。指定避難所に入れない人が車中泊も含めて400人ぐらい集まった。車椅子や目の不自由な人もいた。足の踏み場もない状況で、役場職員も疲れ果てていて「食事は」と聞いても「分かりません」。災害本部に電話してもらって自衛隊の車を呼んでもらうことにした。

 余震が続いていたので、逃げるための避難通路をラインテープで示した。車椅子が通れるように90センチ幅を確保した。これがきっかけで混然としていた体育館内を区画整理できた。

 地域づくりボランティアネットワークを立ち上げていたので県内外に炊き出しの協力を求めた。避難所のみんなでラジオ体操をやるようにして、布団の片付けや掃除も始めた。そうすることで知らない者同士が顔見知りになりコミュニティーが形成されていった。1カ月たつと段ボールベッドとパーテーションも入ってきて快適になったが、区切ってしまうと安否確認ができないし不審者が入ってきても分からないので、昼間は開放して寝るときだけ閉めるようにした。

 ある避難所で感染症が出た。役場はおにぎりや菓子パン、コンビニ弁当に切り替えた。野菜も果物も汁物も規制された。だから、私たちは渡り廊下に調理室などを作り、自己責任で全員分の料理を作るようにした。避難所は生活の場だから運営は女性がやった方がうまくいくと思う。

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