来年の明治維新150年にちなみ、新聞を通じて地域の歴史を学ぶ「さが維新塾」。本紙記者による出前授業の第3回は鳥栖西中(鳥栖市)の2年3組です。

原貴憲先生(後列右端)と2年3組の皆さん

 

■鳥栖の櫨蝋、維新の原動力に

 

【きょうの教材】藩財政支えた櫨蝋産業 天保年間~慶応3(1867)年

「さが維新前夜」1月28日付より

 

犬丸家に残る蝋皿。中に白蝋を入れて固める道具で、中央に屋号が彫られている

 鳥栖市江島町の犬丸家に「安政3(1856)年に藩の命令で白蝋を納めた。15万斤=90㌧=を輸出し、利益をオランダ製の船や軍用品の交易に充てた」との意味を刻んだ石碑がある。白蝋は櫨の実から取り出した成分を天日にさらして白くし、固めたもの。ろうそくや化粧品の原料となる。1867(慶応3)年のパリ万博に佐賀藩が出品し、好評だった。

 鳥栖・三神地域は、天保年間(1830~44年)に低木で実が多い品種の櫨が導入され、白蝋の一大産地に育っていった。佐賀藩は嘉永2(1849)年から櫨蝋産業を統制し、ペリー来航の嘉永6(1853)年より、長崎から輸出を始めた。

犬丸家の庭にある「江島町犬丸家記念碑」。碑文には幕末の櫨蝋産業の様子がうかがえる記述がある=鳥栖市江島町

 生産業者によっては生産量の半分を藩に販売し、残りを民間に販売するなど統制がゆるやかな時期もあったが、万延元(1860)年に三重津海軍所の開設関連費を払うために、藩の専売制となった。研究者によると「西洋との取引で、現金の代わりに白蝋で支払いができた。藩の買い上げ金額は民間相場の75%と決まっていたが、ひどい時は7割を切ることもあった」。

 「藩が代金を支払わない。何とかしてほしい」「(櫨蝋を入れる)箱の作り直しを命じられたので、経費が大変だ」。犬丸家に残る日記には、取引の様子や生産現場の苦労も記されている。

 

 

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原貴憲先生 幕末期に鳥栖市、しかも我らが鳥栖西中校区が、ろうそくの原料「櫨蝋」の産地として大きな役割を果たしたということを、前の授業で佐賀新聞の記事から学びました。この櫨蝋産業について、記事を書いた瀬戸記者に話してもらいます。

瀬戸健太郎記者 今の鳥栖西中を含めたこの辺一帯で、櫨蝋産業の中心になっていた「御用蝋屋」が、記事に出てくる鳥栖市江島町の犬丸家です。犬丸市之助という人が、低木で収穫しやすく実も多い改良品種(伊吉櫨)を広めたことで、一大産地に変わりました。櫨蝋は、もとは農民の現金収入として生産されていましたが、幕末になると佐賀藩は、外国から軍艦を買ったり自前で造る費用を稼ぐため、櫨蝋の生産から販売まですべてを取り仕切る(専売制)ようになりました。藩は、民間相場の75%程度で櫨蝋を買い付けたので利益は大きく、倒幕戦争に使われた軍艦の購入にもその利益が使われ、櫨蝋が明治維新の原動力の一つになったと言われています。逆に農民側は苦労が絶えず、藩がきちんとお金を支払わないときもあり、犬丸家の日記には「藩に対し苦情を言った」という記録も残っています。

生徒1 今でも、県内で櫨蝋のろうそくは生産されているの?

 

瀬戸記者 昭和のある時期までは続いていましたが、石油がろうそくの原料になるにつれて生産は減っていき、今では商売としては生産されていないと思います。でも、お隣のみやき町では有志の人たちが「かつての文化を後世に」と、櫨の実からろうそくづくりに取り組んでいる例があります。

生徒2 記事に出てくる「飛び領」とは?

瀬戸記者 本藩から離れた領地のこと。鳥栖西中のあるあたりは佐賀藩領ですが、鳥栖駅周辺は「対馬藩」の領地でした。

 

原先生 対馬は長崎県。江戸時代は朝鮮との交易の窓口でしたが、鳥栖地区の一部にも領地があったんですね。

生徒3 「利益を船や軍用品の交易に充てた」とありますが、今だといくらくらい?

瀬戸記者 一例ですが、佐賀藩が買った船1隻の値段として「金1万8千両」という記録があります。1両10万円としても18億円。おそらく数十億円したのでは。

原先生 そんな高額の軍艦を、佐賀藩はやがて自前で造れるようになりました。造るための図面や情報は、長崎警備をしていたので他藩より手に入れやすいという有利さもありました。でも、お金がなければどうにもなりません。そのばく大なお金を、我らが鳥栖の櫨蝋が稼いでいたということは、やはり、すごいことだと言えると思います。

【授業を聞いて・みんなの感想】

平井拓馬さん 今の鳥栖西中の校区内で江戸時代に櫨蝋を生産して、売っていたなんて知らなかったし、それが幕末・維新期の佐賀藩の経済を支えていたと聞いて驚いた。そして、軍艦を1隻買うのに、今のお金で数十億円かかったという記録があると知り、櫨蝋がそんな大金になったなんて、とても意外に感じた。

中原日和さん 現在のろうそくが石油などを原料にしているのは知っていたが、昔は植物から作っていたことは知らなかった。朝鮮との交易の窓口になっていた対馬藩が、鳥栖にも領地を持っていたことも初めて知った。自分たちが住んでいる地域が、日本の歴史に大きく関わっていたということが分かって、誇らしい気がした。

【維新博 INFORMATION】

『リアル弘道館』~伝説の藩校を体験~

 来年3月17日(土)から約10ヵ月間にわたって開催される「肥前さが幕末維新博覧会」。その会場の一つである、佐賀藩の藩校「弘道館」をテーマとした「リアル弘道館」は、明治初期の面影が残る旧古賀家(佐賀市柳町)内を会場に、佐賀城下ひなまつり閉幕から約2週間後の4月16日(月)オープンします。

 大隈重信や江藤新平ら、近代日本の礎を築いた偉人を輩出した弘道館。このテーマ館では、佐賀の人材教育の原点である弘道館を紹介し、その学びを体感していただけます。テキストを声に出して読み上げる「素読」をデジタル判定するコーナーや、先生から実際に当時の授業(「習ひ」)を受けることができるコーナーも。他にも、偉人があなたに語りかけたり、弘道館の平面図に当時の子どもたちの姿が映し出されたりと、デジタル映像技術を使った不思議体験などが盛り沢山です。

 先輩が後輩を教え、また、仲間同士でテキストを読み合い、自分の考えを述べ、討論するなど、「自ら学ぶ力」を養う場だった弘道館。現代社会においても通用するその「学び」を、明治維新から150年というこの機会に、ぜひ体感してください。

 

 

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