来年の明治維新150年にちなんだ佐賀新聞の連載企画「さが維新前夜」。回が進み、おとといは会津戦争に触れていた。どうしても思い起こすことがある◆東京での大学時代。友人たちと車で東北を旅し、福島県会津若松市の旧会津藩家老、西郷家の屋敷を復元した施設「会津武家屋敷」を訪れた。会津戦争での悲劇を解説した展示物がある◆新政府軍が鶴ヶ城下に侵入すると、西郷家の女たち21人は城には入らず、この家で覚悟の自刃を遂げる。その場面が人形で再現されていた。哀切極まりない史実に胸を突かれ、重い石をのみ込んだような気分を今も忘れることができない◆屈辱をなめた会津藩だが、もともと文武に秀でていて、江戸後期、佐賀藩とともに学力の高さで知られていた。弘化3(1846)年から慶応元(1865)年までに、各藩校から官学の昌平坂学問所に入った留学生の数は、佐賀藩がトップの40人、2位が仙台藩と薩摩藩の21人。4位が会津藩の19人であった◆直木賞作家の中村彰彦さんは随筆集『歴史の坂道』で、藩の石高と藩士・その子弟の人口は比例するとして、留学生数で学力水準を計ると、佐賀藩と会津藩が1、2位につけると書いている。敵味方に分かれて戦ったこの両藩からは、明治以降も優れた人材が多く出た。教育の力を感じさせる話である。(章)

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