佐賀城本丸跡の女性の居住区画の「長局」があったとされる箇所の発掘調査の様子。増改築を示す礎石郡が見つかった=佐賀市城内 

鍋島家の家紋である「杏葉紋」があしらわれた鬼瓦

女性の居住区画「長局」があったとされる場所から出土した金属製のかんざし

三重津海軍所跡のみで見つかっていた「灘越蝶文」の皿も出土した。関係のある組織であったことを裏付ける資料になる

 佐賀城本丸歴史館と県文化財課は、ほとんど調査されていなかった佐賀城本丸跡(佐賀市城内)の南側を発掘調査し、礎石や周囲を巡る溝が複数回にわたって作り替えられていることを確認した。天保、嘉永、明治の各時代に作られた図面で示された増改築の繰り返しが実際に裏付けられた。22日に発表した本丸歴史館の学芸員は「本丸御殿の構造を解明していく重要な資料」としている。

 佐賀藩10代藩主鍋島直正が1838年に再建した佐賀城本丸は、広さが約8千平方メートルあったとされる。歴史館として復元した以外の敷地南東部の「奥」(女性の居住空間)、「外」(藩政機関)と呼ばれる場所は発掘調査が不十分か、未実施だったため、本年度から3カ年計画で約2900平方メートルの調査に着手した。総事業費は約1億5千万円。

 10月から2区画約600平方メートルを調べた。奥の「長局(ながつぼね)」と呼ばれる場所を発掘し、礎石群や鍋島家の家紋である「杏葉紋(ぎょうようもん)」があしらわれた鬼瓦が出土した。出土品は数千点にのぼり、三重津海軍所跡(佐賀市諸富、川副町)でしか確認されていなかった「灘越蝶文(なだごしちょうもん)」の皿も見つかった。

 県文化財課の渕ノ上隆介主査は「赤松小のプールがあった場所は遺構が残っていないと思われていたが、今回下層から礎石の基礎が多く見つかり、建物の構造が確認できる。金属製のかんざしが出たのも女性の住居だったことを示すもので貴重」と話す。 

 12月4~27日までの平日は発掘調査が見学でき、12月2、16日には学芸員や調査員による現地説明会を開く。問い合わせは佐賀城本丸歴史館、電話0952(41)7550。

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