アームストロング砲の砲弾は不忍池を越え、上野の山の彰義隊を攻撃した=東京都台東区

 「鳥羽・伏見の戦い」が行われた慶応4(1868)年1月初旬から、新政府は山陰道や東海道、北陸道、四国、九州など各地域で征討軍長官となる鎮撫(ちんぶ)総督を任命していった。徳川家に仕えてきた譜代藩には厳しい姿勢で臨み、薩長を中心とした兵力が帰順させていった。
 7日には徳川慶喜追討令も出された。軍事動員を求められた諸藩は、新政府への忠誠心が試されることになる。佐賀藩は藩主鍋島直大(なおひろ)が2月上旬に上京、新政府に従う態度を明確にした。譜代の唐津藩も議論の末、恭順の姿勢を示した。鳥羽・伏見の戦いから1カ月以内に、西日本一円が新政府に従う格好になった。
 皇族や公卿(くぎょう)、諸侯から選出される新政府の議定(ぎじょう)には、直正と直大が選ばれた。副島種臣や大隈重信、大木喬任(たかとう)は参与に任命された。この人選について、歴史学者の藤野保さんは著書『佐賀藩』で「新政府が戊辰戦争の遂行に際し、佐賀藩のもつ近代装備化された強力な軍事力に期待したからにほかならない」と分析している。

移設された寛永寺の黒門。数多くの弾痕が戦闘の激しさを伝える=東京都荒川区の円通寺

 大阪城を脱出して江戸城に戻った慶喜は、鳥羽・伏見の戦いの責任者を処分した上で上野の寛永寺で謹慎し恭順の意を示したが、新政府軍は進軍を続ける。
 江戸に軍勢が迫る中、旧幕府側で和平交渉に奔走したのが勝海舟だった。3月14日、薩摩藩の西郷隆盛との会見で江戸城明け渡しなどの条件に合意し、西郷は翌日に予定していた江戸城総攻撃を中止。4月11日に江戸城は無血開城された。
 幕府の歩兵も新政府側に引き渡されることになったが、不満を抱いた歩兵が開城前に脱走し、江戸周辺や北関東などで戦闘を繰り広げた。新政府軍への抵抗をもくろむ旧幕臣は「彰義隊」を結成し、慶喜警護の名目で寛永寺を拠点とした。諸藩の抗戦派も合流し、約2千人が集結したといわれる上野の山は、不穏な空気に包まれた。

西郷隆盛と勝海舟が会見した薩摩藩邸跡=東京都港区

 新政府軍と彰義隊との戦闘が始まったのは5月15日早朝。彰義隊が主力を投入した寛永寺正門の黒門口で、西郷隆盛が指揮する薩摩藩兵らと激戦になった。彰義隊の背後の団子坂には、佐賀藩兵も配置された。一進一退の攻防が続き、午後に入っても勝敗の行方は見通せなかった。
 戦局を決定付けたのが、側面の加賀藩邸(現在の東京大学本郷キャンパス)に設置された佐賀藩のアームストロング砲2門だった。長距離砲撃が可能な当時最新鋭の大砲で、放たれた砲弾は不忍池を越え、彰義隊を襲った。
 『鍋島直正公伝』によると、この大砲は「威力が猛烈で、城攻めや海戦で使うべきとして藩邸倉庫に収蔵していた」と記述されている。国内戦争を避けようとした直正の意向を受けた扱いとみられるが、江藤新平が「西洋諸国に最も接近している旧幕府は、どんな武器を隠し持っているか分からない」と使用を進言したという。
 戦火拡大を憂慮する直正の複雑な思いもあっただろうが、佐賀藩は新政府軍の期待に応えなければならない立場にあった。直正の側近の原田小四郎は書簡で、出兵とアームストロング砲の使用を決めた直大について、「やむを得ないと判断された」とつづっている。
 「我がアームストロング砲は口を開いて上野の森に発射し、その破裂弾は敵陣の中央に落ちて猛烈に爆破した」。『公伝』は威力をこう記す。新政府軍が黒門口から一気に攻め入ると、彰義隊は総崩れになり、夕方までに勝敗は決した。新政府は、こうして江戸を掌握したことによって、戊辰戦争での優位を確かなものにした。
 上野戦争に参戦した佐賀藩は、直大が関東の治安維持を命じられるなど新政府内での影響力を強め、東北を舞台にした戦闘にも加わっていく。陸奥、出羽、越後国の諸藩は5月上旬、「奥羽越列藩同盟」を結成し、新政府軍に対抗する姿勢を強めていた。

大隈とパークスの論争

 慶応4年3月に新政府に出仕し、参与・外国事務局判事に就任した大隈重信は閏(うるう)4月、英国公使パークスとの論争に臨んだ。国内のキリスト教徒の容認に関する外交交渉のメンバーに選ばれ、大阪で折衝した。
 パークスは、一判事の立場で参加した大隈の身分の低さを指摘して高圧的な態度を取ったが、大隈は冷静さを失わなかった。キリスト教を禁止する日本を、信教の自由を持ち出して批判するパークスに対し、大隈は国内法で処罰することについて外国から干渉されるいわれはないと反論。欧州では宗教が戦争の原因になったことも指摘した。
 談判は物別れに終わったが、論理的な主張を終始展開した大隈をパークスが気に入り、2人は関係を深めていく。大隈はこの交渉によって、新政府内での評価を一気に高めた。

【年表】
慶応4年 1月(1868)徳川慶喜追討令が出る
     3月      西郷隆盛と勝海舟が会見
     4月      江戸城が無血開城
     5月      上野戦争

このエントリーをはてなブックマークに追加