青空の下での再生の一歩

 薪(まき)ストーブのぬくもりに慣れた体が朝の空気に小さく震える。鶏舎へ続く落ち葉の小道をカサカサと行く犬に導かれて今日が始まる。

 地域のお祭り、結婚式、子どもたちの文化祭や大好きな美術館めぐりなど、この時期この年代の養鶏家は普段にも増して休みがなくなる。そして近日、地域に色を添えるほどの個性の方が生を全うされ、寂しい。生と死、地域の未来のことを思う。

 先日、井手野が進める小水力発電を先駆けていた朝倉に、土砂に埋もれた水車や発電機を発掘するためにスコップとチェーンソーを持って集まった。流され埋もれたままの家々と倒れた電柱の風景が広がっていた。重機が入れず、人力を合わせての作業はあちこちから来た人同士で活気立ち、気遣いに満ちていた。背丈以上の水車や200キロのバッテリーを引き上げ、手洗いする。地元の柿がのどと疲れを癒やし、混迷の世界でこれからの未来に触れたような気がした。(養鶏農家)

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