内精遺跡で出土した鉄製品の数々

 弥生時代後期(1700年前ごろ)は邪馬台国の時代。丘陵地にあった弥生時代中期までの集落は、急に少なくなり、後期にはそれよりも低く平野に近い場所に移動してきます。これは鉄器が普及し、平野部により広い水田開発ができるようになったからです。

 蔵上(くらのうえ)遺跡もその代表的な例で、南の内精(うちしらげ)まで広がる大きな集落がつくられていたようです。

 蔵上地区の区画整理に伴う平成5年からの発掘調査で、200軒以上にも及ぶ大集落であることが分かりました。高床式の倉庫も60棟ほど見つかり、この中には多くの農作物が納められていたのでしょう。

 集落内の住居や倉庫は整然と計画性をもって配置され、集落に住む人々を統制し、生産物を管理する首長がいたことが読み取れます。あるいはこの首長も邪馬台国に属していたかもしれません。(鳥栖郷土研究会会長・藤瀬偵博)

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