10番曳山「上杉謙信の兜」の曳き子たちと、記念写真に収まる宮田長官(中央)=唐津市平野町

曳き込みを観覧する小笠原一憲さん、陽子さん夫妻(中央の2人)=唐津市の旧大成小グラウンド

 過去最高の63万人の人出があった唐津くんち。ユネスコ無形文化遺産登録や来年の明治維新150年を受け、文化庁長官と唐津藩を治めた小笠原家の末裔も訪問した。くんち連載『歴史を未来へ~番外編~』として、2人の初観覧の模様を紹介する。

■文化庁長官 はちまき締め、祭り堪能

 唐津くんちのユネスコ無形文化遺産登録を受けて4日、宮田亮平文化庁長官(72)が唐津を訪れた。唐津曳山(ひきやま)取締会のはちまきを締め、曳き子たちと触れ合った。

 宮田長官は金工作家で、1970年に東京芸大を卒業。同大学長などを歴任し、16年から現職。

 JR唐津駅前では、勢ぞろいした14台を観賞。曳き子の衣装について質問を繰り返し、「スーツで来たのが恥ずかしい」と笑った。平野町では、10番曳山(やま)「上杉謙信の兜(かぶと)」が狭い路地を走る様子を目の前にした。采配を振って曳山に停止の合図を送り、曳き子たちと写真に納まった。同会の案内で、曳山関係者の家を回り、おもてなしも受けた。

 綱を持った子どもたちが走り、曳山の後ろを年長者が歩く様子に、「町全体で歴史を守っている」と宮田長官。「工芸美術と観光業が相乗効果を生み出している。最近ではアニメともコラボするなど、最先端を取り入れた活動も素晴らしい」とたたえた。ユネスコ登録についても「この地域だけの祭りにしてはいけない。どうやって世界に発信するか、より多くの人に来てもらうかが重要になる」と話した。

■唐津藩主末裔 町人文化「続けてくれた」

 最後の唐津藩主として幕末・明治初期まで治めた小笠原家。第16代当主で不動産会社社長の小笠原一憲さん(70)=東京都=が2~4日に唐津を訪問し、初めて見る曳山(やま)に「よくぞ唐津の方々がくんちをずっと続けてくださった」と江戸時代から続く町人文化に目を細めた。

 ちょうど200年前、第9代当主長昌の頃に唐津藩主になり、2年後に1番曳山「赤獅子」が製作された。7番曳山「飛龍」と8番曳山「金獅子」の曳き子の衣装には、幕末に幕府の老中を務めた長行(ながみち)、その長男長生(ながなり)=一憲さんの祖父=の親筆がデザインされ、曳山と縁がある。

 峰達郎市長を表敬訪問した折には、民間人の立場から「どうも唐津に来ると恥ずかしくなる」と恐縮。3日の 曳(ひ)き込みは特等席で妻の陽子さん(55)と観覧し、「壮大。砂地に曳き込むのは他ではあまり見られないのではないか。関東はおみこしばかりで大人が担ぐのが多いけど、こちらは小中学生も元気。囃子 (はやし)のリズムもよく、一緒に掛け声を掛けたくなる」と感激していた。

 一憲さんは小笠原家が創設した唐津出身者らの学生寮「久敬社(きゅうけいしゃ)塾」(神奈川県川崎市)を運営する財団法人の名誉顧問を務める。唐津市は来年の明治維新150年に開く展覧会で、塾に残る小笠原家の資料を展示する予定。

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