当選が確実となり、万歳三唱で喜ぶ原口一博さん(中央)=22日夜、佐賀市神野東の事務所

 衆院選は自民、公明両党が定数の3分の2を確保して大勝したが、佐賀県は全国で唯一、小選挙区で自民候補が勝てない逆転現象を起こした。自民3人、野党2人という衆院議員の政党構成と顔ぶれに変化はなかった。解散直後の野党再編に加え、台風で離島の投票箱が運べず唐津市が翌日開票するなど異例ずくめ。佐賀1、2区を取材した担当記者が全国注目の激戦となった選挙戦を振り返る。(敬称略)

 

 

 A 1区は無所属の原口一博が全市町の得票数で自民の岩田和親を上回り、2万6千票の大差をつけた。序盤情勢では岩田先行との見方もあったが、何が勝負を分けたのだろう。

 B 解散から公示までの話題をさらったのは原口だった。解散同日、民進党から希望の党合流参加を表明したものの、公示3日前に突然公認を辞退。それも記者会見を開いて無所属での出馬を発表した。どうしてもメディアへの露出が増える。終始、原口にペースを握られ、岩田陣営はいら立ちを隠せないでいた。「何で原口ばかり載せるんだ」って。

 A 原口が揺れているといううわさは聞いていたが、事実上の選挙戦さなかに公認を辞退するとは、陣営も取材陣も驚いた。

 C 当初、民進で用意していたポスターを希望に作り替えたばかりのタイミングだった。そこからさらに慌ててシールを貼って党名を消していた。陣営や推薦した民進県連は相当苦労していた。立候補届け出が間に合わず、公示日の朝に出陣式ができないかもしれないと頭を抱えていたよ。

 B 原口は陣営スタッフにも「すまない」と頭を下げていた。政治家は身内に対してなかなか素直に謝罪や感謝を言えないもの。こういうところが原口の求心力なんだと思うよ。

 A 岩田陣営はスタッフの数や組織力では原口陣営を圧倒していた。敗因は何だろう。

 D 原口を意識し過ぎてしまったのも一因だ。東部の集会で壇上の弁士が原口の難病を理由に差別的な言葉で中傷する場面があり、後日、陣営幹部が謝罪に出向いた。原口が民進から希望、無所属へ変わったことを「風見鶏」と批判し、共産党が候補を取り下げて共闘したことを挙げ「共産と手を組んだ」とビラまで作っていた。

 C 原口陣営は「差別をする悲しい人も包み込む温かいを社会をつくる」と一枚上の対応をした。「批判ばかりは嫌われる」と途中から岩田陣営も方針を転換したけどね。

 A 知事選から続く農協と自民のしこりや、佐賀市議選が重なったことで組織力をフルに生かせなかったことも不利に働いた。

 B それもだが、前回選挙から3年余りの本人の活動が問われた「通信簿」とも言える。県農政協は自主投票だったが、地域個別の推薦は認めていた。末端の農家と日頃の関係ができていれば、対応は変わったはずだ。課題の後援会組織づくりも進まず、本人が「地域を回った」といっても呼ばれた会合に顔を出すことが多く、新規開拓にはつながっていなかった。

 A 一方、原口の強さはどこにあったのかな。

 D 政党に頼らない草の根の「原口党」で勝負してきたが、希望を飛び出し、比例復活の命綱を断ったことで「信念を貫いた」と有権者の反応も良かった。昨年末に難病を公表したこともマイナスではなく、痛みを知る者が強大な力に立ち向かうイメージと選挙戦がぴったり合った。笑顔の絶えない、余裕すら感じさせる戦いぶりだったよ。

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