初秋に訪ねた島原半島の原城跡(長崎県南島原市)は夏草が茂り、かすんだ天草の地が望めた。有明海に突き出た丘の上に、3体の石像が立つ。海を見つめる、その背が寂しげだったのが印象に残る◆1637年、一揆が起き、土豪や農民3万人あまりが、この城に籠城し命を落とした。日本を揺るがした島原の乱が勃発して、あすで380年。飢(き)饉(きん)に苦しむ民に対する、領主・松倉氏の非情な年貢の取り立てと、折からのキリシタン弾圧への抵抗も合わさって起きたとみる説が有力だ◆当時、佐賀藩の重臣は「島原ではここ2、3年不作で、年貢も納められないのに催促が厳しく、とても生きていけないので農民が禁制のキリシタンになった」という意味の報告を江戸にしている◆幕府は西国大名に大量動員をかけ鎮圧。佐賀藩からは最多の約3万5千人が派兵された。封建時代にあっては、圧政に耐えかねた民衆は蜂起するしかなすすべがない。民にも限界があることを教える◆総選挙が終わり、政治が再始動。佐賀選挙区は自民候補が全敗するという異例の結果になった。国策絡みの課題が多く、県民にたまったストレスが、地方なりのノーを「安倍1強政権」に示したといえようか。強引な政権運営は必ずしっぺ返しがくる。為政者は民の声に耳をすます―。乱の歴史に学ぶことである。(章)

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