翠幼稚園のパンダと園児=佐賀市蓮池町の翠幼稚園

佐賀コンピューター専門学校のパンダと学生=佐賀市兵庫町の佐賀コンピューター専門学校

佐賀コンピューター専門学校のパンダと学生=佐賀市兵庫町の佐賀コンピューター専門学校

黄色くなったパンダと園児=佐賀市蓮池町の光明保育園

 東京・上野動物園に5年ぶりに誕生した赤ちゃんパンダ「シャンシャン(香香)」の愛くるしい姿に列島はパンダフィーバーに包まれているが、日本に最初にパンダがやって来た1970年代はそれをはるかにしのぐ一大ブームだった。佐賀市兵庫町の佐賀コンピュータ専門学校(堤保裕校長)には、そんな時代をほうふつとさせる大型パンダ人形が38年前から駐車場入り口に置かれ、マスコットキャラクターとして長年親しまれている。堤校長によると「実は、パンダ人形は4頭いた」という。”きょうだいパンダ”たちの行方を追ってみた。

日中国交正常化を記念して上野動物園にカンカン、ランランの2頭が贈られてから7年後の1979年、国道沿いでドライブインを営んでいた堤校長の祖父保雄さん(享年83歳)の元に、行商のトラックが乗り付けた。荷台にはコンクリート製・体長約1メートルのパンダが積んであり、行商人は「荷台に残っている4頭を買ってくれないか」。保雄さんは交渉の末、4頭を1頭半の値段で買い取ったという。

◆3園に1頭ずつ

「上野にパンダを見に行けない子どもにもパンダを楽しんでほしい」。保雄さんは市内の幼稚園と保育園、3園にパンダを1頭ずつ寄贈。残った1頭は、ドライブインが専門学校に変わった後も、駐車場の入り口で愛嬌を振りまいている。

 きょうだいの1頭は今も翠幼稚園(同市蓮池町)にいた。時代を問わず園児に大人気で「パンダに登ったり、口に手を入れて歯医者さんごっこしたりして遊んでいる」と大塚富代子園長(66)。上野のパンダに名前が付いたことをきっかけに、翠幼稚園でも名前を付けた。「翠」の字が中国語で「クイ」と読むことから、クイクイ(翠翠)となったという。

 もう1頭は同じ蓮池町の光明保育園に。パンダの白黒ではなく、定期的に色を塗り替えている。今は黄色だが、茶色やピンク色だった時期もあるという。上田光俊理事長(52)は「隣が墓地なので、墓参りに来たお年寄りがパンダのひざに座って昼食をとっている姿も見かける」という。

◆1頭は消息不明

 残りの1頭は光生幼稚園(兵庫町)に贈られたが、残念ながら現在は消息不明。約20年前に園舎を建て替えるまではあったが、移動されたのか旧園舎とともに取り壊されのか定かではない。

 専門学校のパンダは2003年、大型台風で右腕が折れ、その腕を何者かが持ち去る“事件”が発生。しかし数年後パンダの膝元に折れた腕が置かれているのが見つかり、片腕のパンダは無事現在の姿に戻った。パンダに落書きが絶えず、塗り直す堤校長との攻防が繰り広げられた時期もあったが、「最近はたまに誰かが手元にササを置いてくれる。餌のつもりかな」。

 専門学校の前は交通量の多い国道だが、1984年の開校以来生徒が事故を起こしたことはないという。堤校長は「祖父の遺志を継ぐパンダが学生や園児たちを守ってくれているのかも」と目を細めた。

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