草場佩川筆 多久茂澄肖像画(多久市郷土資料館蔵)

 草場佩川(はいせん)=1787(天明7)~1867(慶応3)=は現在の多久市多久町に生まれ、佐賀藩校弘道館の教授を務めるなど、当時の日本を代表する儒学者のひとりでした。文人としても著名で、数多くの漢詩や書画を残していますが、官吏としても有能で、多久領九代領主多久茂鄰(しげちか)、十代茂澄(しげすみ)に仕えています。

 佐賀藩の請役家老だった茂鄰が、藩財政の悪化の責任をとって隠居させられると、佩川はわずか4歳で領主となった茂澄の教育係・後見役となりました。佩川は並々ならぬ決意をもって、茂澄と向き合い、教育にあたっていたといいます。

 茂澄は利発で聡明に成長し、16歳で父と同じく藩の請役家老となりました。佐賀藩九代藩主鍋島斉直の信任を受け辣腕(らつわん)をふるっていましたが、斉直が隠居し、斉正(のち直正)が藩主になると、次第に藩政の中枢から遠ざかります。思うにまかせぬいらだちからか、家臣たちのいさめにも耳を貸さなくなり、25歳の時自ら起こした不祥事がもとで隠居させられ、1843年(天保14)、33歳という若さでこの世を去りました。

 茂澄の肖像画は佩川が描きました。茂澄の死後に描かれたものと考えられますが、まるで十代の少年のようなりりしさです。時流に乗れず、不遇のうちに亡くなった主君を悼み、一番輝いていた頃の姿を残したいと願ったのでしょうか。

 今年、2017年は佩川没後150年です。

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