耐恒寮で英語教師を務めた高橋是清を語る作家の幸田真音さん=唐津市文化体育館文化ホール

■リードトーク 幸田さん

 高橋是清は首相を務め、何度も蔵相になった。海外で日本国債を売って日露戦争の戦費を調達したり、昭和初期の金融恐慌を鮮やかに解決したりした。その生涯を私は『天佑なり』で書いた。唐津に来た時、是清はまだ二十歳前。なぜ耐恒寮に関わったのか。

 早い話がお金のためだった。それだけ唐津が英語を教える人を望んでいた。是清は江戸の仙台藩の足軽の家で育った。横浜で外国人の雑用係として英語を学び、13歳になる前に渡米したが、明治維新で帰国。英語が話せる人材は貴重で、薩摩藩の森有礼に大事にされ、政府の学校の教師に。だが仲間にだまされ、多額の借金の肩代わりをさせられてしまう。

 そこに唐津からの誘い。明治4(1871)年の廃藩置県を実施したころで、唐津藩は大歓迎した。是清は頭はざん切りで、当時としては大柄、フロックコートを着て、そこでみんなが度肝を抜かれた。

 到着し、生徒50人に語る。「いかに今、日本が変わろうとしているか。そのためには外に目を向けなければならない」。是清は英語も教えたが、外国人とのコミュニケーション、交渉といったものも教えた。

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